第一章
私立李逗夢(りずむ)学園高等学校──鉄筋五階建ての校舎は築十年、白い外壁は意外なほど美しさを保ち、暖かみのあるライトオークの床とアイボリーの壁が上品で、いかにも私立の学校という柔らかな雰囲気を醸し出している。
この学園で毎年九月中旬に行なわれる、文化祭の呼び物・花形イベントといえば、何といっても『バンド・バトル・フェスティバル』通称BBFと呼ばれる催しで、実施されるようになって、今年で七年目を迎えた。
これは有志で組んだ校内の音楽バンドが十数組エントリーして、その実力を競い合うという大会で、他校ではまず見られない、私立高校として様々な活動に力を入れている同校ならではの画期的な企画である。
並木天馬(なみき てんま)はこの学園の二年生になる。音楽が好きで歌うことも大好き、という彼は入学してすぐに同級生たちを巻き込み、ロックバンド『サジタリアス』を結成して昨年の大会に出場したが、惜しくも──総合評価は十三組中九位というのは「惜しくも」には当てはまらないが──一位から三位までとされる入賞の栄誉を逃していた。
六月に入ったその日、二年B組の教室を目前にした廊下で天馬に声をかけたのは一年・二年と続けて同じクラスになったバンドの仲間の一人、ドラム担当の水谷文弥(みずたに ふみや)だった。
「おはようさん、天馬」
「ああ、おっはよ」
文弥は実家を離れ、父方の叔父の家に寄宿しながら通学している。中学まで大阪に住んでいた彼がどうして東京の高校に進学する気になったのか、入学してすぐに親しくなった天馬も詳しくは聞いていない。
ドラムを叩くにしては華奢な身体つきで、しかし、学年でも一、二を争う運動神経の持ち主・体育祭のヒーローは抜群のリズム感の持ち主でもあり、彼以外に適任者はない。そう思った天馬が頼み込むと、
『ドラムは後ろでポンポコ太鼓叩くだけで、全然目立てへんからなぁ』
『大丈夫、おまえなら充分目立つって』
『そうか? ま、しゃあない。一肌脱いだろかいな』
などといったやり取りの結果、引き受けてくれたのだが、その発言が示すように、大阪人らしく派手で目立ちたがり屋の文弥は髪を染めたりピアスをしたり、制服のスタイルに手を加えたりと、学園の自由な校風をフル活用している。
それほど長身ではないが、鼻が高くて二重瞼のはっきりした顔立ち、日本人離れした容貌から発信される関西弁のミスマッチがウケているのと、口達者でサービス精神旺盛な上にフェミニストときているから、女の子たちには当然モテまくっていた。
「なあ、今年の文化祭の申し込み、まだ始まっとらんのかいな?」
「うん。でも、もう六月に入ったし、来週中にはあると思うけど」
「いやー、楽しみやなあ。ボクら、去年は初めてやし、要領もようわからんで、バタバタやったけどな」
「バタバタか。言えてるな」
九月に行なわれるのは一年生が学校に慣れ、それなりの準備期間を経て、上級生と対等に参加出来るようにという配慮からだが、一度、二度と経験している上級生バンドに比べれば不利なのは当然で、サジタリアスもその例に漏れなかった。
文化祭における二日間の日程のうち、二日目の午後の半日あまりはこのイベントのみ。学園中が一丸となって取り組むあたり、学生たちの気合の入り方が違う。
会場となる体育館の独占使用はおろか、他の展示や催しを行なっている生徒たちから教師から、学校内のすべての人々が応援に駆けつけ、友人やクラスメートのバンドに声援を送るという、体育祭や球技大会といった華やかなイベントにもひけをとらない盛り上がりが毎年繰り返されているのだ。
また、ここで優勝して、某レコード会社にスカウトされたバンドが過去にあったお蔭で、本気でプロのミュージシャンを目指す生徒もおり、高校生が学業の片手間に行なう趣味にしては、かなりハイレベルな戦いが繰り広げられるのも見ものであった。
「ほんま、去年の大会はスゴかったわ。メイクも衣装も、そこまでやるか、みたいなノリやったな」
「けっこういたよな、パンク系とかヘヴィメタとか。それでいて、ヘタクソなグループがひとつもなかったのもスゴイ」
「皆、あれで素人かいな、って思うたで」
「たしかにオレたちの考えが甘かった」
舞台には立ったが、あっという間に振り落とされてしまったのだ。この日に賭ける上級生たちの意気込みは凄く、プロはだしの腕前の者が何人もいて、天馬たちなど足元にも及ばなかったのである。
やはり現実は厳しい、だが、救われる部分もあった。甘く、キレイなテノールという恵まれた声質に加えて、高二男子にしてはやや小柄な天馬の、その身体のどこから出てくるのかと思われるほど、パワフルで伸びやかなヴォーカルは当時も今も高い評価を得ている。
お蔭で前回はベストヴォーカル賞・特別部門に輝いたという実績もあり、参加申し込み開始を前に、今年こそもっと上位へ、と彼は張り切っていた。
「どや、リーダー。今年はええセンまでイケそうなんやろ?」
「ああ、もちろんそのつもりさ。見てくれだけのビジュアル系なんて、もう誰にも言わせないようにしようぜ」
サジタリアスはメンバー五人のうち、四人までもが学年でもトップクラスの美形揃いである。そういう人物のみを意識して集めたわけではないのだが、皆が皮肉を込めてビジュアル系と呼ぶのも無理はなかった。
二人が肩を並べて教室に入ると、その到着を待ち受けていたらしく走り寄ってきたのはギター担当・金子恭介(かねこ きょうすけ)で、エキゾチックと形容される美貌の男はその、形のいい眉をひそめながら進言した。
「『ハングリア』の連中がよそのメンバーを引き抜きにかかっているらしいから、注意してくれ、って、さっき朋が知らせに来たけど」
「引き抜きだって? 何だよ、それ」
そんな話は初耳だと、天馬は食い入るように恭介を見た。すると彼はなぜか恥ずかしそうに目をそらせ「詳しいことはよく……」と中途半端な返事をした。
「朋に訊かなきゃわからない、ってとこか」
朋こと刈田朋成(かりた ともなり)は天馬の中学時代からの友人で、今は隣のC組にいる。
おっとりした童顔にメガネをかけた貧相な男は五人の中でただ一人、残念ながらビジュアル系の基準からはみ出してしまっているが、それでも学年一の成績を誇る秀才なのだ。
いかにも真面目で勉強一筋、ロックバンドの活動とは無縁と思われがちだが、話を持ちかけてみると、あっさりと承諾して、今ではキーボード担当兼、オリジナル曲の作曲まで手がけるようになった。
バンド活動をしながらも学年一をキープしているところはさすがであり、そんな朋成に迫る頭脳の持ち主が恭介である。
一昨年父親を亡くし、母一人子一人の生活を送る身で私立の高校へ通うのは厳しいと思われるが、その優秀さを買われての特別待遇、つまり、学費免除の特待生であった。才色兼備という言葉を男性にも引用していいのならば、それはまさに彼のような男を表すものだろう。
が、社交的な文弥とは正反対のタイプで、引っ込み思案な性格の恭介は自分の容姿や成績、特待生という身分のことで騒がれたり妬まれたりするのを極端に嫌った。
しかし周囲は彼への誤解を深めるばかりで、そんな折、ごく自然に接してくれた天馬に心を許した恭介はロックバンドのギターという、もっとも派手なパートを引き受けた上、懸命に練習をした上で、天馬が立ち上げたバンドに参加し、朋成たちの輪にも晴れて仲間入りしたのである。
机の上にリュックを置いた天馬は文弥と恭介、仲間二人を交互に見やった。
「まだ授業始まらねえよな。ちょっと行って詳しく訊いてくる」
天馬は瞬く間にB組の教室を飛び出した。それから隣のクラスに駆け込むと、朋成の姿を捜したのだが、どこにも見当たらない。
足踏みしながら辺りをキョロキョロと見回していると、「落ち着きがない、やめろ」と嗜める声が聞こえた。
振り返ると、背の高い男が腕組みをして、呆れた様子でこちらを見ている。彼の姿を認めた天馬は気まずそうに言い訳をした。
「朋に用があって、捜してんだよ」
すると相手は鼻白んで「フン」と言い、それから、二年C組のクラス委員である朋成が担任の教師に呼ばれて、職員室まで行ったことを告げた。
「えっ、そうだったのか。マイッたな……」
そうつぶやきながら、天馬はこの男、火室丈(ひむろ じょう)の顔を盗み見た。
彼こそがバンドの五人目のメンバー、ベース担当なのであるが、御覧のとおり愛想がなくて気難しいため、その扱いにはほとほと骨が折れた。
彼がサジタリアスに参加することになった経緯は次のとおりである。
丈は朋成の従兄弟にあたるが、中学は別の学校に通っていたため、高校に入学するまで天馬はその存在を知らなかった。
血縁関係も従兄弟となると、似ていなくても当然で、小柄な朋成に対して丈はスラリと長身、おまけにかなりの美形・四人目のビジュアル系である。
だが恭介や文弥ともまったく違うタイプで、クシを使う気はないのか、ザンバラとした髪の間からのぞく眼光は鋭く、いつも無表情で冷たく取り澄ましている。こいつが笑うなんて滅多にない、いや、とんでもないと天馬は思っていた。
メンバー四人までが決定、残るはベーシストとなった時、中学でもバンドを組んでベースを弾いていたという丈に朋成が話を持ちかけ、だが、なかなか首を縦に振らなかったのを頼み込んで加わってもらったのだ。
練習中も冗談ひとつ言わないし、ギャグにもまったく反応しないという面白みのない、人の輪に馴染みにくい性格に加えて、参加の経緯もあったため、彼は他のメンバーに距離を置いたところがある。
そんな男を含めて、グループとしてまとめ上げていくのはリーダーの天馬にとって、練習以上に大変な仕事だった。
丈に朋成への質問事項を訊いたところで「知らんな」と冷たく返されるのがオチだと判断した天馬はその件には触れずに「じゃあさ、戻ってきたら、あとでオレのところに来てくれって伝えてよ」とだけ言った。
「俺が、か?」
「他に誰がいるんだよ、同じクラスだし当たり前だろ」
「おぼえていたらな」
「まったく、憎たらしい……」
天馬は丈を睨んでみせたが本気で憎いわけではない。仲間として一年近くつき合って、ようやくここまで打ち解けた、それほどまでにとっつきにくい相手だったのだから、彼にしてみればこれでも精一杯の、親愛の情を示しているつもりである。
さて、丈にことづけを頼んで戻った天馬だが、朋成がやってきたのは昼休みも終わり頃だった。
ひょっこりと顔をのぞかせた彼は天馬を見ると、ニッコリ笑って声をかけた。
「天馬くん、遅くなってごめんなさい」
「なんだよ、遅いなんてもんじゃないぜ。もうすぐ休み時間終わりじゃないか」
朋成はその穏やかな顔に笑みをたたえたまま「いろいろと忙しくて」と弁明した。
それから、紹介したい人がいると言いながら後ろを振り返り、恥ずかしそうに控えている男子生徒を引き合わせると、彼の話し方の特徴である、いつもの丁寧口調で告げた。
「こちらは土門宗吾(どもん そうご)くん。一年C組のクラス委員なんですが、この前のクラス委員会で隣に座ったときに、私が天馬くんと一緒にバンドをやっているという話になって、ぜひ、会わせてもらいたいと。天馬くんのファンだそうですよ」
「えっ、オレの?」
天馬と目が合うと、土門宗吾は頬をうっすらと染めて、それでもしっかりとした口調で挨拶した。
今度入学する高校だから参考までにと、昨年の文化祭を訪れた際にBBFを見て、天馬の歌を聴いたと話したのだが、それがファンになるきっかけだったらしい。
「あれで入賞できないなんて信じられませんでした。絶対に優勝すると思っていたのに」
憧れの人を前に、宗吾は興奮気味である。
照れ臭いような、こそばゆいような気がした天馬は「そりゃどうも」と答えるしかなかった。
「今年も出場するんですよね?」
「も、もちろん。今度こそ優勝狙うからさ」
天馬と朋成が立ち話をしているのを見て、何事かと集まってきた文弥と恭介が天馬の肩越しに相手を覗き込んできた。
「応援していますから、頑張ってください」
「ありがとな」
天馬と、それから見守る三人にもペコリと頭を下げて、宗吾は自分の教室へと戻っていった。
彼の姿が見えなくなると、文弥はニヤニヤしながら天馬をこづいた。
「美少年のファン出現やなぁ。ウチのヴォーカリストも隅に置かれへんわ」
やめろよと、照れ臭そうにポーズをとると、文弥はとんでもないことを言い出した。
「あれが女の子やったら最高やのに、どうも天馬は男に人気があるよってに」
「な、なんだよ、それ。おまえ、オレがホモだって言いたいわけ?」
冗談じゃないと天馬はしかめっ面をしてみせた。
文弥、恭介、丈、そして天馬。ビジュアル系四人組の中で、女子生徒の評判に挙がらないのは自分だけ、という悲しい自覚はある。一番の花形、ヴォーカル担当なのに、だ。
顔立ちは決して悪くない。彼のレベルなら大抵の人は男前の範疇に入っていると思うだろうから『四人組』なのだが、わざとらしく逆立てた髪に大きな瞳はひと昔前の少年マンガに出てくる熱血主人公にありがちな、やんちゃ小僧といったタイプである。
この子供っぽいルックスは女性受けしないようで、バンド結成後、人気を集めたのは先の三人。もしも成人だったとしたら、ヤケ酒でも飲んでいたかもしれない。
「天馬自身がホモやとは言っとらん。せやけど、天馬のファンは男が多いさかいに……」
中性的という感じではないが、単純で直情的、それでいて可愛げがあって、かまいたくなるというのは、女には通用しない、男のみを惹きつける要素なのだろうか。
まだまだ続きそうな文弥のホモ談義にイラついていたのか、いつもは物静かな恭介が「それより」と強い口調で切り出した。
「朝話していた問題はどうなったの? ほら、引き抜きがどうしたとか」
「そうそう、それ。詳しく聞きたくて、わざわざそっちに行ったんだぜ」
天馬が調子を合わせてそう言うと、朋成の穏やかな顔は険しい表情に変化した。
彼の説明によれば、二年D組の連中が中心になって活動している四人組のバンド、ハングリアはサジタリアスと同様、昨年の大会にも出場していたが、最近になって内部分裂が発生したとのこと。
二つのグループに分かれた彼らはそれぞれ足りないパートを受け持ってくれるメンバーを探し始めたのだが、未経験者を入れて、今から楽器を練習して云々……となると、文化祭までの期間では、完成度が低くなるのは当然で、それよりも他のバンドに所属している誰かを引き抜いて、手っ取り早く穴埋めしようという魂胆なのだ。
そして、その魔の手は彼らと同じ学年で結成されたサジタリアスのメンバーに伸びる危険性があるという。
「そんなバカな。あいつらに『こっちにおいで』って言われて、ホイホイ行くヤツがオレらの中にいるとでも思ってんのかよ」
呆れ顔の天馬がそう言うと、文弥も彼に同調した。
「ハングリアいうたら、サイケデリックなノリが売りやろ。ボクらの音楽とはコンセプトが違いすぎるやん」
「たしかに私たちには考えられませんが、あくまでも一般的な話で」
そう前置きしてから、朋成は続けた。
「例えば音楽性の問題です。自分のやりたい曲と他のメンバーの意見が合わなくて解散、なんて話、プロのバンドではよくあるじゃないですか。そういう理由以外にも、メンバーの誰かと仲が悪くなって、だけどそこを飛び出してしまったら活動する場所がない、そういう人は喜んで行くかもしれませんね」
「他のバンドはともかく、僕たち五人には縁のないことだ。サジタリアスにはヤツらの付け入る隙なんてない。もうすぐ大会の詳細もわかるし、ここでもう一度結束を固めよう」
恭介がそう締めくくって、仲間たちの顔を見回した。
そのとおり、付け込まれる隙のあるバンドを狙うはずだ、オレたちのところは大丈夫だと高をくくる天馬たち、だが、彼らの頭上には既に暗雲が垂れ込めていたのである。
……②に続く