DOUJIN SPIRITS

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爆ベイ パラレル小説 PRECIOUS HEART P-Ver. ❻

    第六章

 泣きたくなるのを堪えながら、天馬は放課後の集会に出席した。会場の視聴覚室には氷川の姿もあって、彼が視界に入らないような場所を選んで座る。

 文化祭実行委員のうちの数名がBBF専任、大会運営の中心となるわけで、彼らは今も黒板の前に立ち、司会進行役を務めていた。

「それでは只今から、今年度のBBFについての説明会を行ないます。まずはお手元の資料を御覧ください」

 配られた紙に目を通す。会場は体育館、開催時刻は午後一時から、といったように、昨年と同じ項目もあれば変更点もあって、中でも一次審査がデモテープになったことが最大の変化だった。

「……参加希望のバンドが年々増えていまして、昨年は十三組という数で、終了時刻が大幅にオーバーしてしまいました」

(そういえばそうだっけ。片付けて家に帰ったら十時近かったもんな)

「今後、そういうことのないようにと学校側からの要請がありました。今ここに集まってくださっている方は十八名ですから、十八組全部が出場となると、昨年よりさらに五組多いことになります」

(うわっ、それって完徹しちまいそう。決勝の演奏なんて、誰も聴いてなかったりして)

 そんな時刻まで学校にいていいはずもない。教育委員会からお叱りを受けるのは必至だ。

「そうすると、文化祭の半日、という決められた時間内ではとても審査できないことはおわかりになると思いますので、一次審査の変更については御承知おきください」

(はいはい、承知しました)

 審査時間短縮のために導入されたのがデモテープでの一次審査というわけだ。舞台に上がる前にダメ出しされる、それだけは避けたいと天馬は思った。

 一次審査には幾つかの課題曲が挙げられており、その中のひとつを選んで演奏したものをカセットテープあるいはMD、USBなどに録音して、期限までに提出する。

 審査を通過したバンドに対してはその旨を通知し、二次審査以降は今までどおり文化祭当日に行うが、得意なコピー曲等の他に、オリジナルを一曲、必ず用意しておくというのも新たに加わった条件だった。

 学園の、音楽分野での活動を盛り上げるためのイベントなので、そういう文化的な試みを入れろとお達しがあったらしいが、既存のコピー曲に比べれば、あらゆる点でメンバーの負担が増すのは目に見えている。

 ここに集まった全員がうんざりした表情をする、それが手に取るようにわかると、笑い事ではないにもかかわらず、天馬は何となくおかしくなり、笑いを堪えていた。

「以上ですが何か質問はありませんか? それでは必要事項を記入の上、今週の金曜日、午後三時までに申し込み用紙を本部へ提出してください。締め切りは厳守です、少しでも遅れることがあれば出場できませんから、気をつけてください。デモテープの提出方法については追って連絡します」

 デモテープにオリジナル曲、初心者ベーシストの養成──問題は山積みだ。

 溜め息をついて頭を抱えた天馬は説明会が終了しても、そこに座ったままだった。

「サジタリアス最大の危機、か。出場はあきらめる気になったかい?」

 キッとして顔を上げると、氷川がニヤニヤ笑いながら、こちらを見下ろしていた。肩につくほど長く伸ばした髪、生白い顔に赤い唇がいやらしく光る。

「てっめー、よくもっ!」

「おお、こわ。逆ギレするなよ」

 そして何を思ったか、氷川は天馬の隣の椅子に座り、身体をこちらに向けると調子よくしゃべり始めた。

「並木天馬か。おまえ、けっこう人気あるんだってな、男限定で。オレの従弟の宗吾もおまえの崇拝者だぜ、知ってるよな?」

 この男は何が言いたいのだ、無言でねめつける相手にはおかまいなく、氷川のとんでもない発言が続いたが、それは天馬を震撼とさせるものだった。

「火室丈はな、オレが中坊のときのオトコなんだよ。わかるか? オレたちはつき合ってたんだ、高校に入学する直前までな」

「なっ、んだ……って」

 呆然として目を見開く天馬、その反応に満足したのか、氷川はふふんと笑った。

「ところがオレの前に新しい男が現れて、オレたちは別れる羽目になった。つまり、オレの浮気が原因というわけで、そこらへんは十分反省してまぁす、丈くんゴメンナサイってとこかな」

 ふざけた口調でおどけてみせる氷川の態度に、天馬は苛立ちとも怒りとも、悲しみともつかない感情を募らせていた。

 丈が氷川とバンドを組んでいた、そう聞かされた時に感じた不安の理由はこれだったのだ。男同士のそういう関係だったというところまでは推察できなかったけれど、何かが彼にそれを予感させたのだろう。

「あいつがおまえに惚れてサジタリアスに入ったんだとすぐにわかった。けれど、所詮オレの敵じゃなかったようだな。尻尾を振ってヨリを戻しにきたぜ」

 それからグイッとこちらに顔を近づけた氷川は「おまえも男に逃げられたくなかったら、遊びはほどほどにしておけよ」などと言ってのけた。

「そっちのギターやってるヤツ、何て名前だっけ? そうそう、金子だったよな。せっかくあれだけ女にモテてるのに、誰かさんのせいでホモに走っちまって、色男がもったいないよなぁ、まったく」

 恭介のことも察していたのか、とんだ食わせ者だ。天馬の怒りのエネルギーは蓄積される一方である。

「短気、じゃなくて、浮気は損気。あちらこちらに気を持たせるなよ、リーダー。グループの規律が乱れる元だぜ」

「言いたいことはそれだけか?」

「他にもあるさ、いろいろとな」

 氷川は含み笑いをした。

「まあ、これ以上は言わぬが花だ。おまえも知らない方が幸せってもんだしな」

 何が言わぬが花、だ。

 天馬と丈の関係、恭介の想い、それ以外に何があるというのだ。これ以上、サジタリアスに氷川の付け入る隙、秘密なんて、そんなもの、あってたまるか。

 バカバカしいと思いながらも、天馬は一抹の不安を感じていた。そして、その漠然とした不安は彼の心の中にじわじわと広がった。

「あそこにいる……」

 氷川はこの部屋の窓際にいる、長身でがっしりした体格の男を指さした。

「ポーラスターのリーダーで、ベース担当の中野ってやつ。メンツが足りないくせに、のこのこと出てきやがったけど、さて、どうするつもりかな、お手並み拝見といくか」

 中野をさんざんけなした氷川は「オレの好みって一貫しているだろ、我ながら感心しちまうよ」と言った。

 これですべてに合点がいった。

 丈と別れたあと、氷川は中野と一緒にハングリアを結成したが、彼との別離が即、バンドの分裂へと結びついたわけだ。

 それで、丈とヨリを戻して、サザンクロスを立ち上げた……何て不愉快な、胸がムカムカする。

「てめーの悪趣味なんてどうでもいい」

 天馬は氷川を睨みつけた。

「オレたちサジタリアスは大会に出る。おまえらには、おまえと丈には絶対に負けない、必ず優勝してやるからな!」

「ふうん、強気だな。せいぜい楽しみにしているぜ、じゃあな」

 氷川の後ろ姿が見えなくなっても、天馬の怒りの炎が静まる気配はなかった。

 その怒りは氷川本人ではなく彼に──丈に向けられていた。

 あの時の言葉に嘘はないだと? 大ありじゃないか。オレにキスをしたその唇で、あいつは氷川に言ったんだ、やっぱりおまえが好きだと……

(ちっくしょー、メチャメチャ悔しいっ!)

 こうなったら絶対に負けられない。天馬は拳をギュッと握りしめて誓いを立てた。

    ◆    ◆    ◆

 学校を出た天馬はそのまま水谷楽器へと足を運んだ。いつものスタジオには文弥と恭介、それに宗吾がいて、健二叔父から借りたベースを片手に懸命な練習を行なっていたが、天馬が入ってきたのに気づくと、一斉にこちらを見た。

「天馬、どうやった?」

「うん……なかなか面倒、っつーか」

 手渡された資料を覗き込んだ三人はそれぞれに溜め息をついた。

「課題曲、今年も厳しいなぁ」

「ボクに弾けるでしょうか」

「特訓するしかないね。僕も高校に入ってからギターを始めたけど、何とか形になったし、あと三ヶ月ある、自信を持ってやろうよ」

「一次で十組以下に絞るんやな。二次、三次、と、全部通ったとして、四曲は用意せないかんことになるな」

「他所とバッティングする可能性もあるから、プラス一曲。ひとつはオリジナルだから、コピーは三曲必要だね」

 サジタリアスのベーシストは宗吾である、みんなの心はそう決まっている──

 複雑な思いにかられながらも、迷いに決着をつけなくてはと、天馬は自分に言い聞かせていた。

 丈はもう、氷川のもの。かつて愛した男の元に戻ってしまったのだから──

(オレってば何辛がってるんだ、あんな裏切り者、もうどうでもいいじゃないか)

 憎むことはあっても悲しむことはないのだ、彼に想いを残すなんて、金輪際やめるべきだと、何度も決意しているのに……この根性ナシめが。

 しばらくして朋成がやって来たが、その表情は沈んだままだった。

「自宅に電話をかけてみましたが、帰ってないようです。伯母の勤める病院にも連絡してみたんですけど『朋ちゃんと一緒じゃなかったの?』なんて逆に質問されて、返事に困ってしまいました」

「そっか、大変だったな。面倒な役を押しつ付けて悪かった」

「天馬くん……」

 もうあいつのことはいい、全身でそれを伝える天馬に、他の四人は何も言えずに黙ってしまった。

 説明会には新生・サザンクロスの氷川も来ていたはず、そこで何かがあったのだと、彼らは暗黙の了解をしていた。

「そうだ、朋もその資料、今日の説明会で配られたやつだけど、ちょっと見てくれよ」

 恭介から用紙を受け取った朋成はずり落ちるメガネを持ち上げながら、紙面に目を走らせた。

「……オリジナル曲、ですか。去年は選択制になっていましたよね、やりたいバンドはやっていいけど、全部コピーで通しても可。それが必須項目になってしまったわけですか、これはまた大変だ」

「歌詞はオレが書くから、何とか曲をつけてくれよ、頼むぜ」

「天馬の作った詞で大丈夫なんか? 国語も苦手科目ちゃうの?」

「つまんねーツッコミするなよ。少なくとも数学よりはマシなんだからな」

 笑いが起こって、みんなの気持ちが少しばかりほぐれてきた。

 ──BBF大会出場の申し込み用紙には「バンド名・サジタリアス 代表者・並木天馬(二年B組)」の記述に続いて、「メンバー名・水谷文弥、金子恭介(二年B組) 刈田朋成(二年C組) 土門宗吾(一年C組)」とそれぞれ自筆で記入され、翌日のうちに届出が済まされた。

 こうしてサジタリアスは大波乱の中、新たなスタートを切ったのであるが、彼らの行く手には、そして天馬には、さらなる過酷な試練が待ち受けていたのだった。

    ◆    ◆    ◆

 丈が去ってひと月、宗吾が加わってひと月が経った。

 宗吾の頑張りもあって、サジタリアスはコピー曲を順調に仕上げていた。彼の上達は目覚しいと、恭介はこの後輩を褒め称えた。

 あとは課題曲とオリジナルだが、コピーよりも問題なのは当然こちらで、課題曲はとりあえず選択したものの、個人練習の段階である。デモテープの関係があるから、一番に仕上げなくてはならないのに、遅々として進まない。

 さらにやっかいなオリジナルに至っては、まったくの手つかず。天馬は朋成を拝み倒して、待ってもらっているという情けない状況だった。

 その後のサザンクロスの状況については誰も触れずにいたが──同じクラスにいても、丈とはほとんど話をしない、彼は誰とも話さないと朋成は言った──あまり順調ではないらしいと、練習の合間に宗吾が洩らした。

 ヨリを戻したはいいが、氷川の浮気の虫がまたうずうずし始めたのか、それとも音楽性の違いが埋められないのか。いい気味だ、どちらにしても勝負はあったと勝手に決めつけて、我らがサジタリアスのリーダーは溜飲を下げた。

 二年B組の風紀委員を担っている天馬はその日、放課後の見回りをする週番だったため、すっかり人気のなくなった校舎を一人で歩いていた。

 期末テストが近いので、どこの部活動も休止、誰もいない校内はしんと静まり返って不気味な感じがする。

「窓よーし、扉よーし。戸締り完了!」

 薄気味悪さを振り払おうと、天馬は電車の車掌のように、元気に声を張り上げた。

 あちらこちらの教室を回ってはチェックリストにペンを入れる。その作業を繰り返し、たどり着いたのは音楽室だった。

「ここもオッケーだな……あれ?」

 ピアノの向こうに白い紙が落ちている。それが五線譜だとわかると、何の曲だと好奇心に駆られた天馬はそちらに近づいた。その譜面には音符の他にも、歌詞らしき一節が書き殴ってあった。

「オリジナルか。まだ書きかけみたいだけど失くしたら困るんじゃねえのか」

 見覚えのある、右肩上がりのクセ字。どこで見たのだろうか。

『あの日 伝えられなかった言葉が 風にさらわれていく──』

 なかなかのロマンチストだ。誰かの落し物かなと、それを拾い上げてピアノの上に置いたその時、背後に気配を感じて振り向いた天馬はギクリとした。

「よう、並木」

 見覚えのある二人組はD組の連中だった。一人は小柄で小太り、もう一人は背が高くて痩せ型、下品な顔にヘラヘラといやらしい笑いを浮かべて立っている。天馬が風紀委員の当番と知っていて、あとをつけていたとしか思えない様子だった。

 良家の子女が集まるこの学園に似つかわしくない彼らは他校の不良生徒とのつき合いも噂されていて、すこぶる評判が悪い。今まで退学処分にならなかったのが不思議なほどである。

「見回りご苦労さん」

「そりゃどうも。門も閉めちゃうから、早いとこ家に帰ってくれよ」

 イヤな雰囲気がする、彼らの脇をすり抜けようとして、天馬は腕をつかまれた。

「何するんだよ?」

「何って、せっかくだから、これからみんなでイイコトしようじゃねえか、って」

「イイコトだと?」

 ねめつける天馬の身体を小太りの方がしっかと捕らえると、目の前に立ちはだかった痩せの方が「聞いたぜ、男に抱かれるのが好きなんだってな」と言い放った。

「男……って、誰がそんな嘘を言った?」

「誰って、そりゃもちろん、ヒ……」

 小太りがそう言いかけたのを慌てて制止した痩せは「火室だよ、火室。おまえと同じバンドにいたあいつが言いふらしていたぜ」と答えた。

「ふざけるなっ! 丈がそんなこと言うはずない……」

「男相手にヤリまくりで、男の身体ナシじゃ生きられない、超変態ホモ野郎だって聞いたけどな」

「歌い始めると妙に色っぽいと思ったら、あれで誘っていたとはねぇ」

「オレもあれにはマイッた、あのときはビンビンきちまったっけ」

「ウチのクラスの連中なんか、並木クンに一度お願いしたい、って言ってたぜ」

 二人組はとんでもない言葉を次々に、好き放題に並べ立てた。

「お願いしてみりゃよかったのに。火室だけじゃ物足りなくて、金子も誘ったとか、一年にも手を出したとか。いっつも飢えてるから、ヤレりゃあ相手は誰でもいいんじゃないか。なあ、ホモ野郎さんよ」

「へえ、発展家だな。さすがに水谷は入っていないけど、あいつは女専門だから?」

「あの女好きもハンパじゃないよな。バンドやってるヤツってさ、ホモは多いし、女もオッケーだし、節操がないっつーか、乱れまくってるよな」

 バンドをやってるから乱れているだと?

 違う、オレたちは純粋に音楽が好き、ただそれだけなのに、恭介や文弥のことまであげつらうなんて、と、天馬は悔しさのあまり、ギリギリと歯ぎしりをした。

「だったらオレたちの相手もしてくれたっていいだろ? 減るもんじゃないし」

「男ならあっちの心配もなくて、存分に楽しめるな」

「やっ、やめろ! 放せっ!」

 必死の抵抗も虚しく、二人がかりで抑え込まれた天馬の制服は次々に剥ぎ取られた。シャツがはだけ、ズボンと下着がずらされ、全裸で床に転がされる。

「おい、何逆らってんだよ。毎日でもヤリたい、男ナシじゃいられないっていうから、相手になってやってんだぜ」

「ポーズじゃないの、ポーズ。本当は嬉しいくせに素直じゃないねぇ」

 ずっとニヤけていた二人だが、抵抗し続ける天馬の様子に、さすがに苛立ってきたらしい、とうとう手を上げた。

「マズイな、けっこう強く殴っちまった」

「このぐらいじゃ死なないだろ」

 カチャカチャと慌しくベルトをはずす音、荒く激しい息使いが耳元で聞こえ、ヌルヌル、ベタベタとしたものが肌に、そしてあそこにも触れる。

「……くぅっ、ああーっ!」

 男たちの唾液と体液が滴り、汚らわしいそれらにまみれて、無残な姿になった天馬は悲痛な叫びを上げた。

「こりゃすっげーイイぞ。この前みんなでハメまくった、バカな女がいたじゃねえか」

「何とか女子高の、ゆるガバだった女のことか?」

「おう。あの女より断然イイって。あー、たまんねえ。こいつに男が群がるのも納得だぜ」

「おい、早く交代しろよ。そんな話聞いたらハメる前にイッちまうじゃねえか」

「待て、焦るな。もっと楽しませてくれよ。それにしてもスゲェ、男にも名器ってのがあるんだな」

「自分ばっかりズルイぞ、こら」

 痛みと怒りと悲しみに引き裂かれ、自分の身体が自分のものでなくなっていく。繰り広げられる悪夢に、天馬は底なしの沼へと引きずり込まれるような気分に陥った。

「丈、助けて、丈っ!」

 思わずその名を叫ぶと、彼らは「おいおい、あいつに助けを求めてどうすんだよ」と嘲笑った。

「自分を売ったヤツだぜ、それでも未練があるのか?」

「マジかよ。とことんバカだな」

「でもさ、本当にこいつヤリまくりなのか? 全然慣れてねえじゃん」

「そんなのどうでもいいって。犯れば金が入る、そういう約束だからな」

「御丁寧に当番の予定まで教えてくれて、そんなにこいつが憎たらしかった、ってわけか。ヤツも悪党だよな」

 二人に代わる代わる犯されて、もう悲鳴も出ない。天馬はグッタリとその場に倒れ込んでしまった。

 欲望を放出し尽くして満足気な二人はズボンを引き上げていたが、すると、そこへコツコツと足音が聞こえてきた。廊下を進み、真っ直ぐにこちらの方向へ、音楽室へと向かってくる。

「ヤベェ、誰か来るぞ!」

 もう誰も校舎内には残っていないはずなのに、当てが外れた、というか、予想していなかった展開に驚いた二人組は大慌てで逃げ出した。

 残された天馬は倒れ込んだまま、微動だにしない。派手に抵抗したせいで、身体のあちこちは傷だらけで血が滲んでいる。鼻血が頬を伝うのがわかると、その生温かい感触に寒気がした。

(オレ、出血多量か何かで、このまま死んじまった方がマシかも)

 両親や仲間たちには申し訳が立たないけれど、レイプを受けた、その生き恥を晒すぐらいなら、みんなの反応諸々を知らないまま、死んでしまいたい。

 ポロポロと大粒の涙がこぼれ、音楽室の床に染みとなって広がる。

 丈の裏切りに遭って、それでも決して泣くまいと思って我慢したのに、好きでもない男たちに犯されて、ここまで情けない姿になってしまった。

 こんな結果になるなら、あの時、丈に抱かれれば良かった。初めての相手は好きな人でありたかった。

「丈……オレ、やっぱり……」

 カタストロフィー、悲劇の結末。

 助けを求め、叫び続けたせいで喉が荒れている、かすれた声で天馬はそのフレーズを歌った。

「届かない想い……もう、戻れない……」

 やがてガラリと音楽室の扉が開いて、モスグリーンのズボンを履いた両足がそこに立ちすくんだ。

「て……天馬……?」

 聞き覚えのある声、ずっと待ちわびていた人の声が耳に届くと、薄れそうになる意識の中で天馬は弱々しく笑った。

「そっか。あのクセ字、どっかで見たことあるって思ったら……」

 

『バンド名・サジタリアス 代表者・並木天馬(一年C組) メンバー名・火室丈(一年A組) 水谷文弥、金子恭介(一年C組) 刈田朋成(一年D組)』

 

「オリジナル担当になったんだな。おまえの忘れ物、ピアノの上に乗せておいたからさ」

 ボロボロになった身体を両腕で支えて起き上がった天馬はシャツで汚れた床を拭いた。それから、何とか服を着たあと、よろよろとよろけながら扉の方へと向かった。

「その格好は?」

「おまえには関係ねえよ」

「何があった? まさか……」

「触るなっ!」

 肩に触れようとした丈の手を激しい勢いで振り払うと、天馬は「二度とオレに近づくな」と捨てゼリフを吐いて廊下に出た。

 足がふらついている、頭が割れるように痛い、目が霞んで涙が止まらなかった。

                                ……⑦に続く