DOUJIN SPIRITS

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爆ベイ パラレル小説 PRECIOUS HEART P-Ver. ❼

    第七章

 それから二日続けて天馬は学校を休んだ。小学校から皆勤賞続き、健康体だけが取り柄の彼には考えられない事態だった。

 期末テストは何とかクリアしたが、以来、天馬の生活は荒れていた。

 練習にはろくに顔を出さない。

 たまに来てもぼんやりとして、まるでやる気がない。

 もうすぐ夏休み。これから本格的に練習出来るという時期に、リーダーがこのていたらくではどうしようもない。

 今日も未だスタジオへ現れない彼に、恭介がイライラを募らせて「天馬のヤツはどうしたんだ?」と大きな声で尋ねた。

「いったい、近頃のあいつはどうなってるんだよ、朋、何か聞いてるか?」

「いえ、私は何も」

 朋成はメガネの奥の瞳をしばたかせて答え、そんな先輩たちの様子を宗吾が不安そうに見守っている。彼の抱えた新品の真っ白なベースが蛍光灯を反射して、痛いほどに眩しい。

 不穏な空気の中で一人、マイペースに作業を続けているのは文弥である。

 スタジオ内はもちろん禁煙なので、禁煙パイプをくわえた彼は──とても高校二年生の仕草には見えない──バスドラムとタムタムの位置を直し終えると「まあ、そうカリカリしなさんな」と仲間たちに言った。

「何のん気なこと言ってるんだよ」

 詰め寄る恭介に、

「天馬にもいろいろ事情があるんや。察してやりぃな」

「おまえ、その事情とやらを知っているのか?」

 すると、文弥はいつもの陽気な表情を引っ込めた。

「これは内緒の話やけど……」

 真剣な顔でこちらを見る三人を順番に見回した彼は「津田先生から聞いたんや」と前置きして、音楽室の床に血を拭き取った跡が残っていた話をした。

「血の跡、だって?」

「血だけやない。もっと他の痕跡、っつーのも残っとったらしいわ」

「まさか、それって……」

 天馬の顔や腕、脚に残る傷跡について訊いた際に、本人は「チャリに乗ってて転んだ」とだけ答えたのだが、それらの傷と音楽室の痕跡とは関係があるらしい、とわかった彼らは顔色を変えた。

「じゃあ、天馬くんは……そんな……」

 天馬に降りかかった災難、それが何だったのか、怖くて誰も言及できない。もしも自分たちの想像どおりだったとしたら──

 青ざめて震える朋成、今にも泣き出しそうな宗吾、恭介は殺気立ち、唇を噛んでいた。

「当時の状況からして、そうらしいと疑った先生が事情を訊いたんやけど……」

 最後に音楽室に入ったのは週番の天馬だろう。が、その時、他に誰がいたのか、何の証拠も目撃情報もなかった。

「知らないの一点張りやったらしいわ」

 本人が認めないものをとやかく言えないと、美月は追求をあきらめたようだ。

「これが表沙汰になって、何か事件があったんやと学校側にバレたらえらいこっちゃ。せやさかいに、今は津田先生一人の胸ん中に収めとる」

「どうしてそこまで……」

 しばらく考え込んでいた恭介はハッとして「そうか、BBFのためだ」と言った。

「天馬に何かがあったとしたら、それはBBFへの出場妨害とか、辞退させようとか、そういう思惑が絡んでいるに違いないよ」

「そのとおりや」

「事件が起こったせいで、大会が中止にでもなったら……きっとあいつ、それを気にして、先生に何も言わなかったんだ」

「ボクも同じことを思うたし、先生にもそう伝えたんや、出来ることならそっとしておいて欲しいって。天馬のアフターケアはボクらで何とかする、ってな」

「天馬さん……辛いでしょうね」

 宗吾が両目に涙を溜めている。その肩を叩くと、文弥は仲間たちを元気づけた。

「大丈夫、そのうち吹っ切れて帰ってくるって。みんなで待っといたろ、な」

    ◆    ◆    ◆

 隣街の繁華街、賑やかな通りからひとつ裏に入った辺りには赤ちょうちんの飲み屋やらパチンコ屋、怪しげな店やいかがわしい雰囲気のする店が軒を連ねている。

 その一角にあるゲームセンターに、らしくない格好をした天馬の姿があった。シャツを重ね着して着崩し、穴のあいたジーンズを履いて一端の不良を気取っている。

 あんなに嫌っていたタバコをこの機会に吸ってみようとくわえたものの、すぐに吐き出した。どうしてこれがウマイのか、文弥たちの嗜好はやっぱりわからない。

 蛍光灯に蜘蛛の巣が張りついた、暗めの照明、鼠色に薄汚れた壁。ガチャガチャとやかましく鳴り響くマシンの音に加えて、スピーカーからは歌詞に意味のない音楽がこれでもかと流されている。手垢にまみれた機械類はあちこちが壊され、使用禁止の紙が貼り付けてあった。

 場末のゲームセンターには普段の彼が関わらないような人種が大勢たむろしていて、こちら側では金髪でヒゲヅラの、だらしのない格好の男が背中を丸出しにしたミニスカートの女を誘っているかと思えば、あちら側では丸坊主の男やニット帽を被った男、入れ墨もどきを施した男などが下品な笑い声を上げたり、突然大声を出して怒鳴りまくったりしている。

 何て喜怒哀楽の激しいヤツらだと呆れながら、それでも恐怖を感じることはなかった。たとえ彼らに因縁をつけられ、この身がどうなろうと構わない。もしも死んだら、その時はその時だと、投げやりになっていた。

(バンドもBBFも……もう、どうでもいいや……)

 二日休んで登校したその日に、津田教諭から呼び出されて幾つかの質問を受けたが、あの日の悪夢が甦ると共に、優しい美人教師の顔が地獄の使者に見えた。

 

『並木くん、本当に何もなかったのね。正直に答えて』

『はい。ボクが見回りに来たときは血なんて落ちていませんでしたけど』

『その傷は?』

『自転車に乗っていて転びました』

『そう。それで……身体はもういいのね?』

『平気です。丈夫にできてますから』

 

 天馬の傷だらけの姿に、美月は眉をひそめ、不審そうな顔をしていた。

 心配してくれる気持ちは痛いほど伝わったが、だからといって事実を話すわけにはいかない。彼女が真相に気づいていたとしても、だ。

 事件が明るみに出れば、彼らは退学、よくて謹慎処分になるだろう。天馬自身は悲劇の人として祭り上げられる一方で、男にレイプされた男という、この上ない不名誉を背負う羽目になる。

 そんなことはいい。それより心配なのは、BBFの開催に影響してしまうのではないかという恐れだった。

 騒ぎが公になってしまったら、そこに関わった連中がBBF出場を目指していて、その絡みで起きた事件だとバレたら。

 高校野球などにおける、先輩が後輩を殴った等の部内暴力事件で、その学校が甲子園への出場停止になる。それと同じような感覚で大会が中止になるのは必至だ。

 それだけは避けたい、その一心で嘘をついたけれど、心と身体に受けた傷が癒えないまま過ごしているうちに、天馬は鬱病のような状態に陥ってしまい、今に至っていた。

『並木天馬は男なしでは生きられない、超変態ホモ野郎だ』

 あの二人は丈がそう言いふらしていたと断言したが、それは絶対にあり得ない。クラスの誰ともしゃべらない丈が言いふらすという行為自体をするはずがない。

 天馬たちを裏切った、それに対する後ろめたさはあったとしても、いきなりライバルを陥れる側に回るものだろうか。

 音楽室で会った時の様子からして、彼が黒幕で、裏で糸を引いているようには思えなかったし、もしもそうだとしたら、相当の演技派だ。そこまで疑う余地はなかった。

 黒幕は別にいる。二人組が別の誰かの命令を受けていると、とっくに気づいていたし、その誰かの察しもついていた。

 そいつは天馬と丈の関わりだけでなく、恭介や文弥、宗吾に至るまで、サジタリアスに関する、ありとあらゆるデマ、ゴシップを吹聴しているのだ。それだけに飽き足らず、天馬への刺客を差し向けた。

 許せない、ブッ殺しても足りないと思う一方で、そんなヤツの行動を、かつての仲間への仕打ちを黙って見過ごしていた男の存在は──まさかレイプまで企むとは予想していなかったとしても、このような非常事態になるまで放置していた責任を問いたい──もっと許せなかった。

 裏切りに遭っても、好きだと思う感情は拭い去ることができずにいた。だが、この黙殺はレイプよりも残忍だ、感情は憎しみへと傾いていく。

 愛と憎悪の狭間で揺れ動き、ますます不安定になる自分を自堕落になることで解放する、彼はそんな逃げ道をみつけたのだ。

 こんな薄汚い場所に出入りしたところで、楽しくも面白くもない。本心は不愉快なだけなのに、自堕落なヤツらがたむろする処へ参加しなければ、自分も仲間入りした感じがしなくて、わざわざやって来たのだった。

(楽器をやらないヴォーカルが抜けても影響はないさ。文弥か恭介が歌えばいい、二人ともコーラス上手いし、女に人気もあるからイイ線いくだろ。案外、宗吾が上手かったりしてな。だったらサジタリアスにとっちゃ、もうけものだ)

 もうサジタリアスではなく、カプリコーンに、それともスコーピオンにするか。いつぞやの冗談が現実になる日は遠くない。

 仲間を見捨てる気か、もう一人の自分に叱咤されながらも再び百円玉を放り込み、ゲーム機のレバーを握る。つまらない画面が派手に動いて消えた。

 手持ちの小遣いが底を尽いてきた。ポケットをはたいて何もないとわかると、仕方なく立ち上がった天馬はぶらぶらと店の外に出た。と、誰かの大声が響いた。

「喧嘩だっ!」

 道端で若者同士の喧嘩が始まったらしい。スラム街を連想させるような裏通りでは日常茶飯事だろうが、それでも人だかりができている。

「一対五? おいおい、マジかよ」

 誰かの呆れたつぶやきが聞こえてきた。

 肩が触れたの触れないだの、どうせその程度のくだらない理由で衝突したのだろうと思いながら、通り過ぎようとした天馬はギクリとして足を止めた。

「……ンだと、てめえ!」

 聞いたことのある声だ、それも、思い出したくない場面の中で──

 派手な柄のシャツを着た男は音楽室でレイプを仕掛けてきた二人組のうちの、小太りの方だった。その隣には痩せの方もいて、肩を怒らせている。

 二人の傍にいる三人の男は身知らぬ顔だが、彼らとつき合いがあるという、他校の不良たちだろう。見るからにチンピラで、凶悪そうに見えて本当は小心者、といった性格がそのまま表れたような面構えをしていた。

 そんな五人と対峙するのは黒いTシャツに黒のジーンズを履いた背の高い男で、彼の後姿を目にした天馬はその瞬間、金縛りに遭ったように動けなくなってしまった。

(……丈! あ、あいつ、何でここに)

 金髪にサングラスをかけたチンピラ、他校の不良の一人がガムをクチャクチャと噛みながら訊いた。

「よう、ニイちゃん。挨拶もなしに、いきなりそれはねえだろうが」

(いったいどうしたんだ、肩が触れたって、絡まれてるのか?)

「ちょっとあんた、頭そうとうイカれてるんじゃないの」

「困るんだよねぇ、こーゆー人」

 どんなに蔑まれても、彼らを相手にはしないつもりなのか、それともまったく視界に入らないのか、丈は同級生の二人組の方を向いたままだ。

「なんだこいつ、シカトしやがって」

「ざけんじゃねーぞ、コラ」

 坊主頭にピアスの男と、モヒカン頭に鎖をぶらさげた男が詰め寄り、丈のシャツの襟元に手をかけようとした。

「ザコはどいていろ」

 相変わらず冷たい声がそう返すと、

「てっめー、何様のつもりだっ?」

 殴りかかる坊主の手を封じ、モヒカンを振り払う。他校生たちを軽くあしらった丈は小太りを捕まえると、その横面をバシッと張り飛ばした。

「やったなっ!」

 今度は痩せをぶん殴る。喧嘩慣れしているというか、かなり強い。

 丈の攻撃はこの二人に集中して向けられ、あとの三人が隙を狙ってかかってきても、上手にかわすだけだった。

「スゲェ。あの黒い服の色男、けっこう腕が立つぞ」

「デコボココンビはタコ殴りだな」

「こっちの三人、ここらじゃ幅利かせていた連中だろ。エラそうにしてたって、あれじゃあ、面目丸潰れだぜ」

 丈の活躍に観客、ギャラリーから歓声が上がる。彼らの中にあって、天馬は呆然としたまま、成り行きを見守っていた。

 あとから来たらしい、野次馬の一人が「何でデコボコだけが殴られてるんだ」と尋ねると、彼の仲間の答えが天馬の耳にも届いた。

「自分たちが何をやったかわかってるのか、おまえらだけは許さない、とか何とか言ってたけど」

「復讐か?」

「だろうな。たぶん、ヤツらに自分の女がマワされたか何か、そういうことじゃねえの」

「納得。見た目からして、あくどそうだし」

 ──復讐?

 その言葉を聞いたとたんに、天馬の全身は雷にでも打たれたかのように激しく痙攣した。まさか、丈はオレのために?

 しかし、いくら腕が立つといっても、五人を相手に戦い続けるのは無理がある。しかも丈は復讐の相手だけを攻撃、あとの三人とはなるべく交戦しないようにしているから、なおさら不利だ。

「おーい、そいつらもやっちゃえ!」

「おまえがやられちまうぞ」

 みんな同じことを感じているのだろう、そんな声援が飛び交っている。

 丈がピンチだ、大変な状態だとわかっていても足がすくんで全身が強ばり、身動きがとれない。

 助けに入ったところで、今度はこっちがタコ殴り。自分を庇おうとする丈の足を引っ張りかねない、そういう結果になるのは目に見えている。

 だが、このまま知らん顔をしていていいのか、あいつを見捨てるような真似をして、並木天馬よ、おまえはそれで平気なのか、この卑怯者!

 自問自答し、天馬が苛立ちを募らせていると、「きゃあっ!」という悲鳴が上がった。とうとうモヒカン男がバタフライナイフを取り出し、丈に切りかかったのだ。

 パッと鮮血が飛び散る。

 右の上腕から肘へ、そこを庇おうとした左手の指に赤い傷口が開いて、さすがの丈も身体をふらりとさせた。

「ヤベぇ、光りモン出しやがったっ!」

「誰か、おまわり呼べ!」

 高みの見物をしていた人々もタダゴトでは済まない展開に大慌てで、さらなる悲鳴、怒声がこだまする。

(……丈が殺されるっ!)

 気を失いそうになり、天馬はその場にしゃがみ込んだ。足の震えが止まらない。

(何とかしなきゃ!)

「どうした? それでおしまいか」

 丈は凄まじい形相で吐き捨てた。

「まだ右の指が残っている。やれるもんならやってみろ!」

 黒い生地から染み出し、滴り落ちる血、地獄から舞い戻ってきた男。そんな姿に、こちらの五人はすっかり怯え、腰が引けていた。

「こらぁ、やめなさい!」

 警笛と共に警官が二名現われると、騒ぎを起こした不良たちは彼らに連行され、それと前後して、到着した救急車に乗せられた丈の姿は瞬く間に天馬の前から消えた。

 興奮冷めやらぬ現場にざわめきと、彼の指から流れ落ちた血痕だけが点々と残る。赤い染みは次第にどす黒く変色し、それと共に、その場を取り巻いていた人々も立ち去った。

 よろけるように立ち上がった天馬は赤ランプを点けた白い車体の去った方向を呆然として見つめた。

 ──この手では助けられなかった。

 

『おまえには関係ねえよ』

『触るなっ!』

『二度とオレに近づくな』

 

 悔やんでも悔やみきれない、あの日。

 また繰り返してしまった、今日。

(丈……オレはもう決して、おまえに許してはもらえないだろうな……)

 せつなくて、苦しくて、涙が止まらない。

 これがオレの生きる意味なら──

 それはあまりにも残酷過ぎて──

                                ……⑧に続く