C-Ver.第五話(最終話)です。本日がシュウバルの日ということで投稿しました。表紙・挿絵は第一話と対になっています。また、先に公開したG-Ver.と同じ場面のため、重複する記述がありますが御了承ください。このシリーズは完結ですが、今回描かなかった超ゼツ以降の二人については別のストーリーとして、またの機会に取り上げたいと思います。長らくの御愛読、ありがとうございました。
第五話 ノーサイド
バルトの劇的な優勝で幕を閉じたゴッドブレーダーズカップ、閉会式が終わっても人々の興奮は冷めやらず、敷地内のあちらこちらで延々とお祭り騒ぎが続いており、それは会場の周囲に林立したビルのうち、選手控室として使われている建物でも同様だった。
この建物には宿泊施設の他にキッチンやダイニングもある。右腕に怪我を負ったオレを——伸びっぱなしだった髪も切ったため、他ビル内の病院と美容院をはしごした——気遣い、本来ならオレが作るはずだったパスタを仲間たちに振舞ったバルトのもてなしは残念ながら不評で、今は彼の母と『スペインの母』の手料理に皆が舌鼓を打っている。
バルトたちと一緒にいるなんて、皆と同じ部屋で和気あいあいと過ごすなんて。ここまでの自分の蛮行を考えれば、到底叶うはずもない、許されるべきではないと思っていたが、バルトの半ば強引な勧めにより、オレはおめおめと彼らの元に戻ってきた。
世界中のブレーダーを敵に回し、鬼神とまで呼ばれた男、レッドアイ。その『元レッドアイ』が何事もなかったかのように平然と、BCソルチームの輪の中にいる。厚顔無恥と言われても仕方がない、むしろそれが当然の反応なのだ。そう思うと心苦しく、いたたまれない気持ちになるが、そんな感情を表に出してこの場の和やかな雰囲気を壊すわけにもいかず、オレはつくり笑顔を無理やり浮かべ続けていた。
久しぶりに会う米駒学園時代の仲間とも、BCソルのチームメイトたちとも楽しげに語らうバルトの明るい表情を少し離れて見つめていると、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。届いたメールの文面に目を落とす。やはりきたか。
オレは手洗いに行くふりをして部屋を出た。出向いた先は先程まで大会が行われていた会場で、そこにはギルデンが仮面の男たちと共に待ち構えていた。
「無様だな、レッドアイ。最強になると言っていたのはどこの誰だったか……宿願も達することすら出来ない、今のおまえはまさに負け犬だ」
オレの姿を認めたギルデンは仮面の下で嘲笑った。
「何と言われようと構わないが、もうスネークピットに戻る気はない」
「ならばシルバーアイとバトルすることだ。勝てば望みどおり自由にしてやろう」
「……わかった」
決勝戦で体力を使い果たした上に右腕を負傷している今、オレのコンディションは最悪だ。だからこそ、彼らはこの機を狙ってきたのだ。それでも勝負を受けないわけにはいかない。これは『レッドアイ』だった自分に対する禊なのだから。
するとそこへ、なかなか戻らないオレを心配したバルトたちが駆けつけてきた。
「コイツら、スネークピットだなっ!」
黄山が声を荒げて仮面の男たちを睨みつける。黒神に緑川、小紫、彼らはオレが戦いを強要されていると見て取ると、代わりに自分が戦うと口々に申し出た。
「気持ちは有難いが、これはオレ自身で決着をつけなければならないんだ」
「そいつがおまえの『おとしまえ』ってわけか」
「ああ、そうだ」
「なら、オレらは見守るしかねえな」
黄山が腕を組んで仁王立ちになり、その横で拳を握りしめたバルトが真剣な眼差しでこちらを凝視していた。
「そうだ、オレたちはシュウの闘いを見届けるんだ!」
怪我と体力低下でまともに戦えるかどうかわからないオレのことが、内心は心配でたまらないのだろう、目には涙すら浮かべている。これ以上、あいつの心に負荷を与える存在になってはいけない。二度と辛い表情はさせたくない、ずっと笑顔でいて欲しい。
まともに動かない右手には包帯でランチャーを固定した。これで何とかいけそうだ。シルバーアイはノーマン・ターバーに次ぐ実力者とはいえ、ベストの状態なら余裕で勝てる相手だが、今の状況はかなり厳しい。それでもオレは……オレ自身の戦い方を取り戻して勝つ!
――シルバーアイのベイが宙に飛んだ次の瞬間、バーストした。怪我人相手で楽勝だと高をくくっていたのだろう、ギルデンたちは呆気にとられた様子でバラバラと落ちるパーツを見つめている。それらを拾い集めると、オレはへたり込んでしまったシルバーアイにベイを手渡し、茫然とする彼らに向かって、深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
こんなふうに袂を分かつことにはなったが、ブルズでも、スネークピットにおいても共に過ごした人々である。礼儀を欠くような形で終わりたくはなかった。
すると、一連の経緯を黙って見守っていたバルトが次の瞬間、飛びついてきた。涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになっている。
「シュウ! 今度こそ本当にお帰り!」
「バルト……」
その行動に戸惑いながらも、胸の内が熱くなる。
「ただいま……ありがとう」
◆ ◆ ◆
戻る道すがら、黄山が「それで、これからどうするんだ」と訊いてきた。
「怪我の治療もあるし、とりあえずは日本に帰国するよ」
すると今度は緑川が「ずっと日本にいるの? もう外国のチームには所属しないつもり?」と言い、その言葉を引き取った黒神が「今回のことでギルデンがどんな処分を受けるかはわからないけど、オーナーを続けるのは無理だろうな。かと言って、シュウを今すぐブルズに戻すというのもなさそうだ」と答えた。
「そうやなぁ。オーナーが代わるんやったらチーム内の体制も変わるしな。でもまあ、シュウほどの実力なら、また戻ってくれ言うて、はよ呼ばれるんちゃうか? ま、もしも呼ばれんかったら、ワイんとこのチームに入れたってもええで」
小紫の言葉に「ああ、その時はよろしく頼む」と答えてからふと、バルトを振り返ると、いくらかうつむき加減に歩いている。アメリカと日本、どちらもスペインと結ぶ距離は決して近くはない。
このまま離れてしまっていいのか……もどかしさとあきらめがないまぜになり、何も言えないまま、来た道を戻る。空の色は朱から藍へ、夕闇が迫っていた。
◆ ◆ ◆
晩餐会もお開きになり、各自割り振られた部屋へと引き上げた。選手も応援団も皆、今夜はここで宿泊し、明日それぞれの地元に戻る。空室だったシングルルームのひとつをあてがわれたオレは包帯をほどいてシャワーを浴びたあと、ラウンジでフリードリンクのコーヒーを飲んだ。そのあとは少し夜風にあたろうと、そこからバルコニーへと出た。
夜空に星が瞬き、心地よい風が吹いている。この地で過ごす最後の夜だ。
「バルト……」
またしばらくは会えなくなる。腕の痛みよりも心の痛みが辛い。
自分の愚かさのせいで、大切な人との絆を失うところだった。それでも彼はオレを許し、迎え入れてくれた。これ以上、何を望むというのだ。腕を治療し、またベイを始めれば会える機会はいくらだって……
「そうじゃない」
心の声が口をつき、我に返る。そうだ、とっくにわかっていたのに……
「まだ起きてたんだ」
思いがけない声に、飛び上がるほど驚いて振り向くと、パジャマ代わりのTシャツを着たバルトが立っていた。カチューシャをはずした洗い髪が夜風になびいている。
「そっちこそ……疲れて寝ているとばかり……」
「へへ、疲れすぎて目が冴えちゃったみたい」
バルトはオレの隣まで来ると、バルコニーの柵に寄りかかるようにした。
「ウチの父ちゃん、ラグビーファンでさ。テレビで試合観ている時に教わって、シュウなら頭いいから知ってると思うけど、ノーサイドって言葉」
「ああ。試合が終われば勝敗や敵味方に関係なく健闘を讃え合う」
「そう。それって、すげーいいなって。ラグビーだけじゃなくて、全てのスポーツにも、ベイにも当てはまるんじゃないかと思ったんだ」
「そうか……そうだな」
ノーサイド――日本での決勝戦でルイに負けた時もバルトは相手を讃え、決して卑屈になることはなかった。その前向きな姿勢とポジティブさも彼の強さの源なのだと思う。
「だから、今回のこともノーサイド」
「いや、あの件は試合ではないし、そういうわけには」
「オレがそう決めたんだからいいの」
星空を見上げたバルトは何かを思い起こすかのように呟いた。
「オレ、シュウのことわかってるつもりで全然わかっていなかった。アメリカに渡った理由もそうだし、レッドアイの正体は誰かなんて考えもしなかった。おまけに、スネークピットを追い出されたあとはどこかで武者修行しているかも、とか、気楽に考えてた。シュウの一番の理解者だって自信があったのに。友達失格だよな」
友達……またしても胸が痛む。
「消えろって言われたときはショックだったけど、でも、あれはオレにだからこそ言ったって思うようになったんだ。エラそうに聞こえたらゴメン。レッドアイって、シュウが色々と思いつめた結果の存在だったんじゃないのか、本当はオレに助けを求めていたんじゃないかって気がして」
「紅シュウは死んだ」などと突き放しながら、そのじつバルトだけには信じて欲しくはなかった。心のどこかで紅シュウとしての生還を待っていて欲しかった。そんなふうにねじくれた、いびつな感情をバルトは真っ直ぐに受け止めていてくれたのだ。
「シュウの傍にいて、辛いことや悲しいこと、苦しいこと、悔しいこととか、もちろん嬉しいこともさ、とにかく全部を一緒に受け止められるのって、その役割ができるのはオレだけじゃないか、オレにしか出来ないって」
「八つ当たりのような真似をして済まなかった。おまえの、その言葉だけでオレは救われたよ」
するとバルトはやや躊躇った様子を見せながらも、オレの目をじっと見つめてきた。
「こういう気持ちってさ……これ、友達だから、なのかな? なんかその……ちょっと違う気もする」
心拍数が急上昇する。オレは自分を落ち着かせようと深呼吸をしたが、どうにも収まりそうにない。
「シュウ、オレ……きっと、シュウのことが好きなんだ」
「えっ」
「アメリカへ行く前にシュウが、その、キスしてきたこと、あのときはよくわからなかったけど、今ならわかる。オレもシュウとキスしたいって」
「バ……」
咄嗟に、言葉より先に身体が動いていた。オレたちはどちらからともなく抱き合った。触れ合う唇は熱く、バルトの想いが伝わってきて、この上なく幸せな気分になる。
「傍にいて一緒に受け止めたいって言ったけど、オレ、この先もシュウの傍には居ないんだよな。もう離れたくないのに……さっき、日本へ帰るって聞いて、すごく辛かった」
「オレも同じだ。このままおまえといられるなら……」
「そう、ホントはずっと一緒にいたい……けど」
「オレたちは……ライバルだ」
「うん、わかってる」
バルトはオレの腕の中で小さく頷いた。
オレはバルトを愛している。バルトもオレへの愛を自覚した。想いは成就し、二人の気持ちが通じ合ったのだ。かつてのように、同じ場所で共に過ごすことができるなら、どんなにか幸せだろう。それでも――
ライバル同士が競い、高め合っていくために、必要な間合いがある。お互いにこれからもブレーダーとして生きていくのならば、世界を舞台に戦うのならば、そしてさらなる高みを目指すのならば、その間合いは保たなくてはならない。
「オレはおまえを忘れたことは一度もないし、この先も、世界のどこにいても、おまえを想っているから」
「オレも同じだよ。でもたまにはさ、試合とかそういうの抜きで会えるよね?」
「ああ、もちろん。おまえのためならどこへだって行く、必ず」
「シュウ……」
――オレたちの忘れられない夜が更けていく。
◆ ◆ ◆
日本に戻って一ヶ月以上が経った。右腕の怪我は二週間もかからずに回復し、医師に運動OKの御墨つきを貰って、日課だったロードワークも再開した。
『ベイブレード世界王者でスーパースターの蒼井バルト選手が日本の大会に出場するために、先程帰国しました!』
ビルの電光掲示板に流れるニュース。この国に帰ってきた、自分のすぐ傍まで来ているはずなのに、オレの愛しい人はその瞬間、遠い存在になった。
「随分と差がついたな」
そのまま見慣れた川の堤を走る。古タイヤの下半分が埋められたあの場所で、彼はいつも特訓を重ねていた。決して遠くはない記憶、だがもう、そんな頃に戻れるはずもないし、立ち止まるわけにはいかない。
みんな、世界へ羽ばたいた。先を行ったはずのオレだけが自身の過ちのせいで、後戻りをして足踏みだ。いくらかの焦燥感にかられるものの、惑うことはないと己を納得させる。そうだ、ここからもう一度やり直せばいい。足元の道には未だ靄がかかっているけれども、いつかきっと晴れるはず。だから……
「やっぱりだ! ここに来れば会えると思ってた」
——オレの大切な笑顔がすぐそこに——
〈The end〉