DOUJIN SPIRITS

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爆ベイ 続・蒼い夜❶

    第一章

 その日、あいつは突然やって来た──


 一昨年、初めて行なわれたベイブレードの世界大会最終決戦、ロシアでの対ボーグ戦を終えて日本に戻ってから、音信不通になっていた火渡カイが何の連絡もなしに突然、木ノ宮タカオの元を訪れたのは、いつもより汗ばむ陽気の初夏だった。
「おまえのバカ面が懐かしくなってな」
 日頃は無口で無愛想だが、たまに辛辣な言葉をサラリと口にする。そんな物言いにもすっかり慣れたタカオは腹を立てるよりも久しぶりに会えた嬉しさが先に立ち、先程彼を自宅に招き入れたのだ。
「あれから何していたんだよ? そうそう、オレらはさぁ……」
 どこかの国の民族衣裳のような服を纏った少年・オズマに出会ったこと、チームメイトのコン・レイや水原マックスの前にもその仲間と思しき連中が出現したことなどを話すと、カイは自分の学校にもおそらく同じ仲間であろう一人が現れたと言った。
「じゃあ、その四人は仲間同士と考えていいよな。キョウジュが言ってたとおりだぜ。そんじゃあ、あいつら、マンツーマンでBBAチームにチェックを入れてるってことなのかな? あ、それから」
 話したいことはまだまだある。ふと気づくと、窓の外は鮮やかな朱色から移り変わり、今は深い藍色に染まっていた。
「なあ、今夜はどうするの? どうせ行くとこないんだろ。宿とか決まってないなら、オレんちに泊まっていく?」
 さっきは軽い気持ちでそう持ちかけたのだが、その時、カイは一瞬戸惑ったような表情をした。
「泊まっていけよ。オレの部屋じゃちょっと狭いけど、道場の方なら何人でもオッケーだぜ。そうだ、今度はマックスたちも呼んで、合宿やろうか? 楽しいだろうな」
 祖父の道場に寝具を二つ運び入れて、布団の上に胡坐をかいたタカオのおしゃべりは続いた。早く寝ろと祖父に諌められても、灯りを暗めに落としただけで、未だネタは尽きない。
 一方のカイは相手の話を頷きもせず、相槌も打たずにただ聞いているだけで、すっかり夜も更けた頃、しゃべり疲れたタカオが思わず欠伸をすると、今まで黙っていたカイがふいに口を開いた。
「忘れたことはなかった……」
「えっ? 何か言った?」
 カイは真っ直ぐにタカオを見つめると、
「日本に帰ったあとも……いや、出会ってから今まで、おまえを忘れたことなど一度たりともなかった」
「そ、そりゃどーも。なんたってオレはおまえの永遠のライバ……」
 思いつめたような、真剣な眼差しを受けて、タカオはおちゃらけるのを止めた。
「カイ?」
「会わずにいればいるほど、余計に思い出されて、胸が熱く、苦しくなってくる。この想いを自分でもどうしていいのかわからなかった。だから……」
 ここを訪ねて来たというのか。
 言葉のイメージどおりに受け止めれば、カイのセリフは愛の告白だ。恋愛にはとんと無縁、鈍くてオクテのタカオにもニュアンスが伝わってきて、だが、自分は男であり、相手も男。普通に考えれば恋愛の対象ではないはず。
 しかしながら、必ずしもそうとも言い切れない部分もあった。中国で行なわれた世界大会アジア予選の最中、感情を乱していたレイにキスをされたという、誰にも言えない秘密の出来事があったからだ。
 男が男に想いを寄せる……世の中にはそういう人たちもいる。自分の身近にその趣向がある人物がいたって不思議ではないし、タカオ自身、レイに対する気持ちはともかくとして、男にキスをされるなど汚らわしいとか、不愉快と感じることはなかった。
 いや待て、そうだとしたら、カイはオレを好きなのか──たしかに以前から、もしかして? と思う場面は何度もあったし、決定的だったのはロシアでの一件だ。しかし、それが的外れの勘違いなら、恥晒しもいいところ。ここは慎重に確かめなくては。
 タカオははぐらかすように、
「なんちゃって、おまえさ、要はオレとバトりたいんだろ? 日本の予選以来、正式なバトルはやってないし」
「たしかに、戦って勝ちたいという気持ちがいくらか後押ししているのだとしても、これはもう、バトルでは治まらないものだ」
 カイはそう言ってから視線を逸らした。
「おまえに対する感情は静まりそうにないし、今となってはどうにも止めることができない。だから、思い切ってぶつけに来た」
「は? 何をぶつけるって?」
「オレの想いだ。オレはできることなら、おまえを自分のものとして征服し、支配したいと思っている。それがオレの……」
 不穏な気配に、一瞬怯んだ相手の左腕を強引に引っ張るカイ、タカオの上半身はバランスを崩し、そのままカイの腕の中に倒れ込んだ。
「なっ……!」
 見た目よりも広いカイの胸板に顔を埋める格好になり、心拍数が急上昇するのがわかる。頬に掌をあてられ、唇が近づいてきた時、タカオは思わず瞼を閉じた。
 思いがけず、このような展開になって混乱しているのはたしかだ。だが、イヤではない。イヤならとっくにブン殴っている。
 長いキスのあと、
「……いいのか?」
「いいって……何が?」
「オレとこうすることが、だ」
「そんなの、わかんねーよ。だいたい征服とか支配とか、言葉遣いにしろ物言いにしろ、いちいち上から目線でエラそーなんだよ。もっと素直に表現しろよ」
「素直にとは?」
「えっと、その、だから……おまえが好きだ、とかさ」
 自分で答えて赤面してしまう。
 カイを受け入れた理由を説明しろと言われても上手く表現できない。ただ、触れ合うことに不快感はない。むしろ触れ合いたい。つまり、こういう関係になってもかまわないと……せめて「好きだ」と言ってくれればいいのに。「オレも好きだよ」と答えるのに……
 するとカイは性急に、タカオのTシャツの中に手を入れてきた。
「えっ、そこ」
「感じるヤツは感じるらしいな」
「なんでそんな」
「そのテの情報なら、いくらでも入ってくる」
 良家の子息のみに入学が許される全寮制の名門男子校──たしか帝王学園という名前だったか。
 ただし、どんなに育ちが良くても、年頃の男子たちが禁欲状態で集団生活していれば同性愛に走る者も一定数はいるだろう。
 それを思うと、タカオの心に嫉妬が芽生えた。自分の知らないところで、カイと触れ合っている者がいたとしたら……
「へ、へえ~。学校でそういうことしてたんだ。やっぱ男子校って、そっちのヤツが多いんだろうな。おまけに寮生活とくりゃ」
「オレはしていない」
「まーたまた、どうだか」
「オレの相手はおまえだけだ」
 そう言い切ると、カイはタカオを布団に押し倒すようにして、スエットパンツに手をかけた。
「ちょっ、ちょっと待った! 本気? マジでそんなこと……せ、背中、背中痛えよ……床固いしぃ~」
 キスはともかく、いきなり最後まで求められるとは。
 うろたえるタカオに、カイはしれっとした様子で言い放った。
「ぶつけに来たと言っただろう。おまえだって承知したはずだ」
「それは、その」
「そもそも、泊まっていけと提案したのはそっちだからな。そうでなければ、こんなことにはならなかった」
「そんな、オレのせいかよ? オレが誘ったみたいな言い方……やっ、ちょっと、痛いっ……」

 

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 ふーっと大きな溜息をついて、タカオは膝を抱え直した。
 昨年のあの日と同じように、道場の床に座り込み、ぼんやりと庭を眺める。池の水面に映る半月、涼やかな風が木々を揺らし、虫の音が微かに聴こえていた。
 アメリカに始まり、イタリア、スペイン、エジプト、オースリラリアと会場を移してきたG・B・C──グレートベイブレード世界大会も日本に戻って、残すところあと二試合。明後日、Fサングレに勝てば決勝、ネオボーグと決着をつけることになる。
 大会開始直後はチャンピオンの肩書きへのプレッシャーから精神不安定になり、後悔の残る試合を繰り返してきたタカオだが、BBAチームで共に戦い抜いてきた皇大地やキョウジュの頑張り、袂を分かつ羽目になった仲間たちの熱い思い、それに、アメリカで偶然再会したゼオの存在もあり、見事に立ち直ると、その強さを世界に知らしめた。
 スペインの会場を最後に、ゼオには会っていない。さすがにエジプトやオーストラリアまでついて行くことは難しかったらしく「日本での決勝は必ず応援に行くから」の言葉を残して去った。
 そのスペイン会場でゼオと対峙したあと、カイは擦れ違いざま「それでも忘れない……愛している」と呟き、タカオの感情を大きくかき乱した。
 驚くほどの急展開で、一気に身体の関係にまで至ったあの時でさえ「好きだ」と言えなかったくせに、「好き」よりもさらにハードルの高い「愛している」──そんな言葉を彼が口にしたのはもちろん、初めてだ。あれはいったい何だったのだろう? 
 いやいや、どうせ嫌がらせに決まっている。あれだけ酷い仕打ちをしておきながら、あとになってタカオとゼオとの関係に嫉妬し、二人の間にヒビでも入れはいいと思っているのだ。
 あんな、自分勝手で独り善がりなヤツなんて願い下げだ。オレにはゼオがいる。ひたむきで、カイなんかよりもずっと、オレのことを大切に思ってくれて……
 それなのに、思い出されるのはゼオと過ごした柔らかいベッドと優しい愛撫ではなく、初めてカイと結ばれたこの場所、薄い布団が敷いてあったとはいえ、固い床に背中が押しつけられて辛い上に、行為に慣れない者同士の痛い想い出しかない、あの時だった。
 カイの不器用な指に──ベイさばきはあんなにスゴいのに、そっちの方はてんでダメだ──触れられた部分が熱をもったようでドキドキしてくる。
 どうしてだろう、どうしてしまったんだろう。タカオは唇を噛んだ。
「よーし、百歩譲って、だぞ」
 タカオは心の中の言葉をわざと口に出すと、次に自問自答を始めた。
「本気でオレを愛している、って言うなら、何でタッグを組んでくれなかったんだよ? 散々気を持たせて、いきなりネオボーグに移ってさ。それって、愛する相手に示す態度じゃねーだろうが。あーっ、ちくしょー! カイ、答えろっ!」
 悶々としつつ、タカオは芋虫のように、その場にゴロゴロと転がった。
 そこへ、
「なんだタカオ、ここにいたのか」
「あ、監督」
 道場に入ってきたのはタカオの兄でBBAチーム監督の木ノ宮仁だった。仁は端正な顔立ちに苦笑いを浮かべた。
「家では仁兄ちゃんでいいよ」
 普段は最寄り駅に近いマンションで一人暮らしをしている仁だが、久しぶりに日本へ戻ったこともあり、祖父の御機嫌を伺いに、実家を訪れているのだ。
「いよいよ明後日だな。オレからはもう何も言うことはないが……まあ、早く寝て、体調を整えろ、ってとこかな」
「わーってるよ」
 拗ねて、不貞腐れた態度を取るタカオを優しく見つめると、仁は思いもよらない話を始めた。
「タカオ、愛とは何だろう」
「……はあ?」
 きょとんとするタカオにはかまわず、仁は話し続けた。
「例えば親子の愛。親は子供を慈しみ、成長を見守る。子供のためなら自分の命を投げうってもかまわない、無償の愛だ。それはわかるだろ?」
「ま、まあ」
「ペットへ向ける愛情も子供に近いけれど、さすがに命を賭けるところまではいかないし、夫婦間や恋人同士の愛はまた少し違うな。お互いを信頼し合い、手を取って、一緒に同じ方向を向いて歩む」
 話が哲学的になってきた。どう反応していいのかわからず黙っていると、
「父さんは考古学一筋で無趣味なオヤジだけど、母さんは多趣味でね」
「母さん……」
 早逝した母のことはあまり憶えてはいないし、彼女に関して触れるのは、自分の中ではどこかタブーになっていた。
「読書も好きで、たくさん本を持っているから、父さんの専門書と合わせると結構な数になるんだけど……ほら」
 仁は両親の蔵書をちょくちょく借りて読んでいるらしい。彼が取り出したのはいくらか古い、ぶ厚い本だった。
「えっ、母さんが買った本なの?」
「これは室町・南北朝時代を舞台にした、時代怪奇ロマン小説で……」
 何やら難しそうな小説だ。室町時代なんて、聞いただけで拒否反応を起こしてしまう。
「まーた、兄ちゃんったら、オレが国語と社会、苦手なのわかってるだろ?」
「それを言うなら、体育以外全部、だな」
「ちぇっ」
「まあ、この本の内容をざっくり説明するとだな……」
 室町時代、時の天皇は北朝方であるが、天皇家の象徴とされる三種の神器は南朝側が持っていた。南朝方の血統にあたる主人公の若武者は、とある武士の配下の、敵か味方かもわからない不敵な男と関わりを持ち、彼の存在を必要以上に意識する。
 その男が三種の神器を横取りし、主人公を担ぎ上げて共に天下取りをしようともちかけるが、彼の言葉に対して、主人公は「おまえの手から神器を護る」と答える。
「ここからが重要なんだ。読んでみろ」
「ああ、うん」
 ふせんが貼られたページを示され、タカオはその一文を読んだ。
『敵対して闘う方が、なまじな共同作業よりはるかに緊密な愛の表現行為になる』
「えっ、これって?」
 思わず仁の顔を見ると、彼は深く頷いた。
「この主人公が関心を寄せる男に対して抱く感情はもちろん恋人に向けるものではない。ましてや親子のようなものでもない、もっとも当てはまるのはライバルだ」
「ライバル……」
「ライバル間に生じる心理葛藤に関して、こんなにも的確に表現した文章はないな。とても印象的だったから憶えていたんだ」
 そうだ、ライバル──オレたちの関係は恋人なんかじゃない、唯一無二のライバルだ。ゆえに「タッグを組んで欲しい」などという願いはライバルを相手に、とりすがってまで懇願することではない。
「天下取りという共同作業より、神器を巡って、相手と闘う方を選ぶ。それが彼の、相手の男に対する愛の表現行為となる。もちろん当の本人は気づいていない深層心理だ。思い当たるところはあるだろう?」
「……うん」
 仁はフッと微笑むと、片手でタカオの頭を軽く撫でた。
「おまえがあいつのことで悩んでいるようだったから、この本の内容を思い出して探してきたんだ。何も迷うことなく、ベストを尽くして試合に臨んで欲しいからな」
「兄ちゃん……」
 仁にはすべてお見通しだった。
「あいつも初めのうちは共同作業で、同じ方向を向いて進めばいいと思ったんだろう。でも、他の連中の反応を見て、本当の自分、本心ではどうしたいのかに気づいた。だからチームを抜けたんだ。同じ方を向くのではなく、互いを認めて真正面からぶつかり合う。それがライバル同士の愛だと、オレは思う」
 共同作業を続けていれば友人同士としての親愛が芽生え、さらに得られるかもしれない、恋人同士に近い愛、それらを振り棄ててでも、ライバル同士としての愛を貫く。
 そこに恋人の愛を持った誰かが入り込めば、相手の身も心も奪われてしまうのは覚悟の上だ。事実、アメリカでタカオの心はゼオのものになった。覚悟していたとはいえ、本人にとっては辛い試練だ。
 誰だって優しくされたい。温かな手で庇護されたい。我が身に向けられる、相手の献身的な慈しみに癒されたい。
 それが『愛されている』の定義なら、正面からぶつかってくるのは、愛されているとは呼べないだろう。ゼオには愛されていても、カイには……いや、それでも──愛なのだ。だから彼は「愛している」と言ったのだ。愛するからこそ戦いを挑む。ライバルだからこそ示す愛の表現行為。
 ならば、木ノ宮タカオという存在を至上のものと認め、持てる力のすべてをぶつけてくるカイの愛に、全力で応える。オレの、カイへの愛──

                                ……❷に続く