DOUJIN SPIRITS

二次創作イラスト・マンガ・小説を公開するブログです

爆ベイ パラレル小説 PRECIOUS HEART P-Ver. ❷

    第二章

 その日の放課後、結束を固めたばかりだというのに、次々と仲間たちにフラれた天馬はムッとした表情で廊下を歩いていた。

 

『申し訳ありません、委員会があって……』

『これからデートなんや』

『バイトが入っているんだ、悪い』

 

 ──そんな調子で、みんなでカラオケでも行こう、という天馬の提案がおあずけされてしまったのだ。

「ちぇっ、どいつもこいつもまったく、つき合い悪いんだから」

 仕方なく帰路に着くと、モスグリーンの制服のジャケットを着た、背の高い見覚えのある後姿が視界に入って、彼はつい、歩く速度を緩めた。

 前を行くのは丈だった。肩に掛けているのはベースの入った黒いソフトケースだ。あいつ、学校へ楽器を持ってきたのかと訝っていると、その歩みがピタリと止まった。

「……尾行でもしているつもりか。とんだ探偵気取りだな」

 後方に天馬がいると、とっくに気づいていたらしい。

「だっ、誰が探偵だって? 尾行だなんて失礼な、何でオレがおまえのあとをつけなきゃならないんだよ?」

 丈の言い草に腹が立った天馬は足早になると、わざとらしく肩で風を切りながら彼を追い越した。

「どこへ行く?」

「こっちの方角なら決まってるだろ、駅。帰るんだよ」

 天馬は電車で通学している。最寄り駅から二駅先まで乗車し、そこからまた徒歩。家までの道程はなかなかに遠い。

 すると丈も歩を早めて、着かず離れず、天馬のあとを歩き出した。

 尾行しているのはどっちだと反論したくなるのを堪えて進むと、左手に小さな公園が見えてきた。駅まではあと少しで到着、自然と急ぎ足になる。

 すると、ボソリとつぶやくような声が聞こえ、天馬は思わず足を止めて振り向いた。

「……何か言った?」

 不思議そうに問いかける天馬を丈は真っ直ぐに見つめた。

「自分が生きる意味に悩んだことはあるか?」

「はあ?」

「心の底から辛い、せつないと思ったことはあるのか?」

「な、何だよ、藪から棒に」

「おまえの歌には心がない。それは心底辛い、せつないと思ったことがないからだ。悩みを抱え、心の痛みを体験した者でなければ、聴衆の共感を得る歌は歌えない」

「なっ……」

 まったく予期しなかった丈の突然のジャブに、一瞬返す言葉を失った天馬、だが、彼はすぐさま反撃にかかった。

「い、いきなり何言うかと思えば、てめー、オレに喧嘩売ってんのか!」

 目尻を吊り上げてつかみかかろうとする天馬の、右手を受け止めた丈の冷静な表情が変わる気配はなく、道端でこんな話もどうかと思ったのか、先の公園を顎で指した。不承不承に手を引っ込めた天馬もあとに続く。

 夕闇迫る空の下、人影もなく寂しげな佇まいの公園には二、三の遊具がところどころに置いてあるだけで、ベンチのひとつにどっかりと腰を下ろした天馬は挑むように丈を見上げ、睨みつけた。

 そんな天馬をチラリと見やって、丈はさらに手厳しい言葉を投げつけた。

「譜面どおりに歌うだけでは、感動は得られない。楽器の演奏も大事だが、最終的には歌で決まる。今年こそ入賞したいのなら、よく考えた方がいい」

「オレの歌がヘボだから去年はダメだった、って言いたいのかよ。これでもベストヴォーカル……」

「たしかに歌唱力はある。声質もいいし、音量も充分だ。だが、気持ちがこもっていない」

「気持ち、だと?」

「何の苦労もない、甘ったれのおぼっちゃんでは無理もないが」

 拳を握りしめる天馬の態度にはおかまいなく、丈は向こうのブランコに目をやりながら「いくらおまえでも、みんなの前で恥をかきたくはないだろうと思って、練習中には敢えて指摘しなかった。これでも遠慮していたというわけだ」と続けた。

「ちっきしょー、偉そうに意見しやがって! じゃあ、そう言うおまえ自身は生きる悩みを抱えてるのか? そんでもって、辛くて、せつない思いをしていて、それを歌に反映させて歌うことができるのかよ?」

 天馬は口角泡を飛ばして、まくし立てた。

「オレと同じ歳の高校生のくせに、そんなに人生経験豊富なはずないだろうが! オレとおまえのどこに差があるっていうんだ」

「少なくとも……」

 そこまで言いかけて、丈は口をつぐんで天馬を見たが、そのまなざしがいつもと違うことに気づいた天馬はなぜだかドキリとした。どちらかといえば鈍感な彼だが、この時ばかりは相手の気配を感じ取ったのだ。

「な、なんだよ」

「やはり、わかっていなかったようだな」

 たじろぐ天馬から視線をはずすと、丈は小さく溜め息をついて、それから担いでいたソフトケースをベンチの上に置いた。

 さすがに緊張を隠しきれずに天を仰ぐ丈と、そんな彼の様子を見守る天馬の緊張も高まってきた。丈は何を言おうとしているのか、聞きたいような、それでいて聞いてはいけない気がする。

「これ以上黙っているのは身体に毒だから、この際はっきりさせておこう。俺がサジタリアスに参加した理由がわかるか?」

「理由って、それは朋が頼んで……」

「いや、親戚の朋成に頼まれたからじゃない、そこにおまえがいたからだ。俺は初めて出会ったときからずっと、おまえの姿だけを追っていた」

 全身に電流が走った、そんな感じがしたあと、天馬はガクガクと震えだした。

 朋成がバンドに入って欲しいと話しても、なかなか承知しなかった丈が参加をオッケーしたのはたしか、残りの三人も一緒になって頼みに行ったあとだった。

 それでは、丈はあの瞬間から自分を、並木天馬という男を追い続けていたというのか。そしてその道ならぬ恋のために、辛くせつない『想い』を抱いていると?

「あ、あのなあ、冗談も大概にしろよ。オレはオト……」

 そんなバカな、と言わんばかりに首を激しく振ってみせる天馬だが、丈は淡々と「男だからどうだと言うんだ」と言ってのけた。

「恋愛は男女でするものと誰が決めた」

「れっ、恋愛って……」

 いきなりそれはないだろう、話が飛躍しすぎだと思ったが、口をぱくぱくさせるだけで反論できない。

「生殖を前提とした、生物学的見地に基づくものだとしたら、たしかに生物の基本ではあるが、あくまでも基本。例外はいくらでもあって当然だ」

 そのセリフを聞いて、大きな瞳をますます大きく見開いた天馬は勢いよく立ち上がり、はずみでベンチがガタンッと音をたてた。

「クソッ、難しい言葉並べ立てやがって、どうせオレみたいなバカには何言ってもわかんねーと思ってるんだろ!」

「理科は生物を選択していないのか?」

「だーっ、ムカつく! ちょっとくらい成績いいからって、人をからかって、そんなに楽しいのかってんだ、ふざけんなっ!」

「からかってなどいない。趣味の悪い冗談も言わない主義だ」

「……マジかよ」

 そういえば、バンド活動を始めて女子生徒たちに人気が出ても、騒がれて喜んでいるのは文弥だけで、恭介は困惑気味、丈に至ってはまるっきり無関心だったのだが、まさか、そういう指向があったとは……

「言っとくけど、オレは普通の男、ノンケで『基本』なの。だから普通に女の子とつき合いたいわけで、その『例外』ってやつの、おまえの趣味に巻き込まれちゃ、すっげー迷惑なんだよ!」

「相手がいるのか」

「いる、って、えっと、それは……」

 言葉に詰まる天馬、情けないことだが、考えてみれば入学してこの方、女の子の誰かを意識したおぼえがない。

 テストの成績順位は後ろから数えた方が早く、落ちこぼれ寸前・崖っぷちという彼にとって、進学校でもある学園の授業についていくのは想像していた以上に大変だったし、そんな中でバンドの活動を始めたのだから、色恋沙汰は後回しになる。よって、この年頃の若者ならば最大の関心事であるはずなのに、女のことを考えている余裕など、まるでなかった。

 モテ男文弥の華麗なる女性遍歴、豊富な恋愛経験──十六歳という年齢で、そこまで経験豊富なのもどうかと思うが──それらを本人から聞かされて、羨ましいとは思っても、天馬自身はそんな機会もなく未体験のまま、二年に進級したのだった。

「心当たりはないようだな。幼稚で甘ったれ、歌があの調子なのも当然の結果か」

 彼女どころか片想いの相手もいない。この悲惨な現状がわかった上での、見透かしたような丈のセリフに、天馬は戸惑いを通り越して怒り心頭、殴りかからんばかりの勢いで怒鳴った。

「オレをずっと追っていたなんて嘘だ! ふつう、好きな人にそんなヒドイことが言えるもんか。やっぱりオレをからかって面白がっているんだ、オレの反応を見て、単純なヤツだってバカにしてやろうと……」

 すると丈は喚き散らす天馬の背中に両腕をまわして抱き寄せ、唇を塞いできた。いきなりのこの行為に、抵抗する術すら忘れた天馬はなすがままになっている。

 天馬の身体を解放した丈は何事もなかったように、冷静な表情で告げた。

「今のが答えだ。どう解釈するかは任せる」

 呆然と立ちすくむ天馬に背を向けた彼は再びベースを担ぐと、その場から立ち去った。

    ◆    ◆    ◆

 以来、天馬はぼんやりしたり胸が痛くなったり、熱があるわけでもないのに身体が熱くなったりと、病気に罹ったような状態になってしまったが、それもこれもすべて丈のせいだと思うと、無性に腹が立った。

 奪われたファーストキス、いや、奪われたのはそれだけではない。この年齢にしては初心な彼は相手が同性であるにも関わらず、すっかり心を掻き乱されていた。

 クラスが違うお蔭で、顔を合わせる機会は少ない。それは不幸なのか幸いなのか、恐らく幸いなのだろうけれど、たまに見かけると意識しまくっている自分に気づき、こんなはずでは、オレは何て単純なんだろう、と思うことしきりだった。

 出会った時から、と丈は言っていた。それならもう、一年にもなる。場合が場合なだけに黙っていたのはともかく、どうして、今になって告白などしてきたのだろうか。彼の中で、いったい何が変化したのか……

「あー、もう、そんなの考えたってしょうがない。やめだ、やめ」

 ヤツの発言なんて頭から追い払え、これ以上惑わされてたまるか、邪念退散。

 帰宅途中の天馬は気晴らしに寄り道しようと決め、駅を中心に広がる商店街をぶらぶらし始めた。

 本屋で立ち読みしたあとはミュージックショップでお気に入りのバンドのCDをチェックする。あった、派手なイラストが描かれたジャケット、新作アルバムだ。

「これ欲しいなぁ。ちょっと小遣い足りないか、マイッたな」

 仕方なく棚に戻して店を出ようとした時、目前を横切る人影に驚いて足が止まった。

 丈だった。今日もまたソフトケースを担いでいるが、こっちの方向は駅から離れていく一方である。

 この前も同じ目的地だったとみて間違いない。毎度いったいどこへ行くのだろうか、好奇心がむくむくと頭を持ち上げてきた。

 これで見つかったら、やっぱり尾行していたと言われかねないが、それよりも好奇心の強さが勝ってしまい、天馬はこっそりとあとをつけることにした。

 気分は名探偵、適当な間隔をあけて歩いていると、見えてきたのはあまり流行っている様子のない、小さな病院の看板だった。

 丈の歩みは止まらず、何のためらいもなくガラスの自動ドアの向こうへスルリと吸い込まれていく。

(お見舞い、かな?)

 それにしたって、病人の見舞いにベースは必要ないだろう。訝しく思いながらも中に入るわけにはいかず、背伸びをしたり、目を凝らしたりしてみたが、彼の様子を伺い知ることはできなかった。

(やめた。バカバカしい、帰ろ)

「……今日も探偵ごっこか。御苦労だな」

「うわぁっ!」

 振り返った目の前に丈がいて、天馬は心臓が止まったかと思うほど驚いた。

 丈は制服の上着を脱いで、白衣のような服を着ていたが、そこから微かに消毒液の臭いが漂っている。

「そ、その格好は?」

「これか。ちょっとしたボランティアだ」

「ボランティア?」

 そこへ一台のワンボックスカーが到着して、病院の職員らしき中年女性が降りてくると、丈に向かって「あら火室くん、いつも御苦労様」と声をかけた。

「どうも」

 素っ気ない返事をした丈は次に、ヘルパーの女性が車椅子を押しながら、建物から出て来たのを見て駆け寄り、彼女の代わりに老人の乗ったその車椅子を押し始めた。

「イヤじゃ、ワシは帰りたくない。もうちょっと長く、ここに居させてくれぇ」

 齢は八十近くになるのだろうか、痩せて皺だらけの老人がごねるのをヘルパーがなだめ、すかしているのが見える。

 ワンボックスカーのリア側のドアが全開になっていて、そこに斜めに立て掛けられたレールを使い、車椅子は二人の手によって押し上げられ、無事に車内へと収められた。

 そのあと同じ作業が繰り返され、もう一台の車椅子を乗せて車はゆっくりと発車、病院の名前が入った白い車体を見送った天馬は「今の作業がボランティアってこと?」と戻ってきた丈に訊いた。

「ああ。俺の御袋はこの病院で看護師をしているんだが、男手がないから手伝えと言われてな」

 大病院に押され気味の、個人経営の病院が始めたデイケアサービス──高齢者を預かり、朝から晩まで一日世話をして、家族の元へも送り迎えをするという企画はいいが、資金も設備もない零細企業のため、最新式の送迎車を導入する余裕はない。

 ボタンひとつで車椅子を乗せた台が上げ下げできる機械、そんなものが車についていない状態では人力によって持ち上げるしかないわけで、ところが看護師は少ないし、ヘルパーも女性のパートがほとんど。日によっては、特に午後は人手が足りなくなる。

 ここは学校からも近いし、老人たちが帰宅を始める時間に、車椅子を乗せる作業だけでも手伝って欲しい。母にそう請われて、彼はボランティア活動を始めたようだ。

「何でベース持ち歩いてるんだよ、ここの仕事に関係あるものなのか?」

「送迎車はあれ一台しかないから、次の作業まで待ち時間が長い。その合間に少しでも練習しようと思ってな。御袋も遅くなることが多いし、家に帰っても暇がない」

「じゃあ、お母さんの代わりに、家事とかをやってたりして……」

「いろいろと忙しいのはたしかだ」

 いつも冷たく取り澄ましている、そう思っていた丈の温かい人間性に触れたようで、天馬は胸の奥が熱くなった。

(な、何だ? オレ、ドキドキしてる)

「ほんの短い時間しか関わらない俺でも、ここにいるとわかる。生きていくのは、人生に苦難はつきものだとな」

 丈のまなざしが優しく、それでいて寂しげなものに変わる。

 病気、老い、様々な悩みを抱えた人たちが日々、病院を訪れる。生と死の、もっとも生々しい場面を見せつけられるのも、病院という場所だ。

 そんな場所で様々な人と接するうちに、丈自身も生きる意味について考えることが多くなったのだろうかと天馬は思った。

「……甘ったれなどと言って悪かった。俺もおまえと大差はない、他人の人生を見て、知ったかぶりをしていただけだ。俺の持つ辛さなど苦難のうちに入らない」

 答えが見つからずに、天馬は黙り込んだ。

「何も悩まずに明るく振舞う、そんなヤツが羨ましかった。そのくせ、俺を煙たがるおまえに嫌がらせをした。ただそれだけかもしれないな」

(それじゃあ、この前の告白は、あのキスは何……?)

 やっぱり冗談だった、オレをからかっていた。いや、それより悪質な嫌がらせだったというのか、そんなの信じたくない。

 ふてくされた顔で「帰る」と言うと、そうか、とあっさり答えた丈は目を細めて天馬を見た。

「この時刻は事故が多いそうだ、気をつけて帰れよ」

(丈が……笑った)

 彼が初めて見せたその微笑みは天馬の心に強く焼きついて離れなかった。

                                ……③に続く