第四章
小窓を背にした位置にあるのはドラム、その右隣にはギター、左隣にはベースがそれぞれのアンプを従えるように立ち、ドラムと向かい合うようにキーボードが置かれているがそれは部屋が狭いからで、本来の位置はドラムとベースの間、舞台での配置はそういう形になる。
そして天馬は、ヴォーカルはキーボードの隣、もっとも入り口寄りの場所にいて、ドアの脇にある椅子に腰掛けた宗吾は天馬を左斜め後ろから見上げる格好になっていた。
「練習を見学したいだなんて、無理を言ってすいません」
恐縮する宗吾に、天馬は「いいって、いいって。聴いてくれる人がいた方が張り合いあるし。あとで感想聞かせてくれよな」と答えた。
「じゃあ始めようぜ。最初はディーパー、次にWakeupで、それからサイコの新曲にいってみるか」
海外の有名・大御所バンドから、日本のミュージシャンのコピーまで、サジタリアスがカバーするジャンルは幅広いが、どちらかといえばハードロックに傾いているのが特徴である。
昨年の大会の一次審査では、課題曲としてポップス系の曲やバラードなどが提示されたために苦戦したが、今年はそのあたりの苦手意識をなくそうと決意していた。
サイコ──サイコ・キ・ネシスとは、Wakeupと並んで、サジタリアスがよくコピーするハードロック系バンドの名前である。そこのヴォーカリスト、ダイキの声質が天馬と似ているからコピーしやすいのだが、彼らの新曲『カタストロフィー』が珍しくバラード調だというので、苦手を克服するには格好の材料だった。
「カタストロフィーって、悲劇の結末って意味やんか。あんまり縁起のいいタイトルちゃうなあ」
擦れ違いの果てに崩壊していく二人の関係、という内容の歌詞は確かに、おめでたくはない。
ぶつぶつ言いながら文弥がスティックで合図すると、朋成がピアノ音でイントロを弾く。ベースが入ったところで、天馬は噛みしめるように最初の歌詞を口にした。
「そこは大都会 賑やかな欲望の街 僕は今独りで──」
激しいリズムも派手な演奏もない、しっとりと聞かせる曲だが、歌いこなせている、自分のものになっていると天馬は大いに自信を得た。
「届かぬ想い もう戻れない あの日あの時には──ジ・エンド カタストロフィー Woo Woo」
これなら課題曲で何がきても大丈夫、どんとこい、だ。
「この曲、スライドのアーティキュレーションが思ったより簡単だな。助かるよ」
「文弥くん、スネアのタイミング、もう少し重くした方がいいかもしれません」
「へい、がってん承知」
「おまえ、大阪人じゃなかったっけ」
それぞれ感想を述べたり、改善点を指摘し合ったり、音楽をみんなで作り上げていくのがバンド活動の醍醐味。そんな時間を共に過ごせる仲間たちの存在はかけがえのないものだった。
「よっしゃー、じゃあ次は定番のアレ、二曲続けていくか」
天馬の歌声が流れている間、宗吾はうっとりとした表情で憧れのヴォーカリストの姿を眺めており、向かい側から注がれる、突き刺すような視線にはまったく気づいていないようで、曲が終わると大きな拍手を送った。
しばらくして、叔母・水谷久美子からの缶ジュースの差し入れがあり、休憩することにしたメンバーは楽器を置いて、めいめいパイプ椅子に座った。
「土門くんは楽器やれへんの?」
社交家・文弥が口火を切ると、宗吾は「ギターなら少し……」と照れ臭そうに答えた。
(ギターって恭介のポジションじゃねえか)
彼がますます宗吾を毛嫌いするのではないかと、天馬はいらぬ心配をしてみる。
「従兄もバンドをやってるんで、暇をみて教わっています」
「ほう、イトコですか」
俄然、興味を示したのは朋成である。
「私と丈も従兄弟同士なんですよ。私の母は彼の父の妹にあたるんです」
「そうなんですってね。この前、従兄から聞きました。ボクらの場合は母親同士が姉妹という関係ですけど」
その瞬間、サジタリアスメンバーの中に何とも不可解な空気が漂った。これまで宗吾と関わる時間が一番長かった朋成ですらも、彼の従兄という存在については初耳だったらしく無反応なのは丈だけである。
「従兄って誰やの? ボクらのことも知っとるん?」
「ええ、皆さんと同じ学年にいる……」
氷川理(ひかわ おさむ)──その名前を耳にした彼らはギョッとすると、思わず顔を見合わせた。
氷川は先日、分裂騒動で話題に上ったハングリアのリーダーにして、ギター兼ヴォーカル。色白で女性的な面立ちのヤサ男である。
「D組の氷川やろ。あの騒ぎはどうなったか聞いとるんかいな」
単刀直入がモットー、文弥の遠慮のない質問にも、宗吾は素直に答えた。
「ギターとドラム、ベースとキーボードの二人ずつに分かれて、理くんの方は新しいバンド名をサザンクロスにしたら、向こうはポーラスターにした、あてつけがましいって怒ってました」
「新しい名前か。ということは足りないパートのメンバーが見つかったんだな? ベースとキーボード、だよな」
勢い込んで尋ねたのは天馬である。
「さあ、そこまで詳しくは……」
首を傾げたあと、宗吾は丈に向かっていきなり爆弾発言をした。
「火室さん、戻ってきて欲しいって誘われるかもしれませんよ」
「なっ、何だよ、それ?」
騒ぎ立てる天馬たちに対して、丈はチラリと宗吾を見やっただけで黙っていた。
「戻って、ってどういう意味だよ?」
「あれ、知らないんですか。中学時代に理くんと一緒に組んでいた、って聞かされましたけど」
衝撃の事実を聞いた四人の視線が一斉に、丈に注がれる。
だが、こんな事態にも関わらず、彼はいつもの冷たい無表情のまま、手にした缶コーヒーを飲み干した。
「二人は同じ中学だったんですか。それで、氷川くんは私たちが従兄弟だということも知っていたんですね」
「いえ、それは高校に入ってから、わかったみたいですが」
「丈に戻ってこい、っちゅうことは」
視線を宗吾から丈に移した文弥は「おまえ、中学のときに喧嘩でもして、仲間から外れたんか? ところが、ベースやるヤツがおらんようになったから、今になって頭下げてきたってことかいな?」と訊いた。
それでもノーコメントを貫く丈に、次第に苛立ってきたらしい、「なんや、だんまりかいな」と嫌味を言った。
すると、ここにきてようやく口を開いた恭介が「いくら昔の仲間が謝ったからといって、はい、そうですかと戻るはずないだろう」と咎めた。
「丈は今、サジタリアスのメンバーなんだ。ハングリアがサザンクロスになろうが何だろうが、もう関係ない。そうだよね、天馬」
急に同意を求められて、それまで呆然としていた天馬は「そっ、そうだよ」と慌てて相槌を打った。
「オレたちの結束は固いんだ。ベースも、キーボードも譲らないから、他をあたってくれって、氷川に伝えてくれよな」
「もちろん、ボクも天馬さんたちを応援していますよ」
ギターを教えてくれる理くんには悪いけど、と前置きして宗吾は続けた。
「ハングリアの曲は好きじゃないんです。分裂して音楽性が変わるのかどうかわからないけど、サジタリアスの音楽の方がずっといい。今年こそ優勝ですよ」
氷川たちのバンドに関する話はやめようと、彼らは話題を変えた。
宗吾がバンド名の由来を尋ねたので、
「これはな、三月生まれで十二月でもないのに、天馬がリーダーの権限を振りかざして、勝手にサジタリアス(射手座)に決めたんや。天馬はペガサス、ペガサスといえば射手座に昇格する言うてな」
「あのなぁ、振りかざすとか、勝手にとか、人聞きの悪い言い方するなよ。語感がカッコイイからコレにするけどいいよなって、みんなにも確認したじゃねえかよ」
「ほな、ボクがリーダーに成り代わって、カプリコーン(山羊座)に変更もありやな。O型ラプソディってのもええなぁ」
「それ、大阪のパロ? 何で血液型入ってくるんだよ、占いじゃないんだから。ちなみに僕はスコーピオン(蠍座)だけど」
「おーい恭介、何主張してんだよ」
「では、いっそ私の星座にしましょうか。陰のリーダーは私ですし」
「はいはい。朋にはかなわないからなー」
爆笑する文弥、何気なく突っ込みを入れる恭介、陰の主役を主張する朋成、それぞれに対してムキになって反論する天馬、その場は和気藹々とした盛り上がりをみせたが、それは彼らの仲の良さからくるチームワークの良さ、メンバー同士の団結力を感じさせるひとコマだった。
「丈は何座やの?」
彼だけ話題に入ってこないことを気遣った文弥が話を振ると「レオ」という言葉が返ってきた。
(獅子座かぁ)
何となく納得できる、と天馬は思った。それならオレはライオンの牙にかかった獲物というわけか。
あの告白で、たった一度のキスで、初めての笑顔で、彼に心を囚われてしまった憐れな獲物……
丈が氷川理とバンドを組んでいたと聞かされてから、胸の中に激しい嫉妬が渦巻いているのを天馬は自覚していた。それをなおさら意識しないように、ギャグを飛ばし、明るく振舞っているのだ。
オレの知らない丈の過去──
彼が中学時代からベースを弾いていたのは承知していたし、その時氷川と一緒だったからと聞いて、何を嫉妬する必要があるのか。
恭介も言ったように、今はサジタリアスの一員じゃないか、戻ってくれという誘いにのこのこ応じるはずがない、と自分に言い聞かせながらも、不安が増していくことに天馬は苛立ちを押さえきれなかった。
「……すっかりお邪魔しちゃって、すいませんでした」
長居をしては迷惑だからと、宗吾はその場を辞去した。
「天馬さんの歌はたっぷり聴けたし、面白い話も伺えることができて、とても楽しかったです。皆さん、ありがとうございました」
礼儀正しい宗吾の様子に感心しながら、天馬は笑顔で応えた。
「いつでも聴きに来いよ、またな」
その姿が見えなくなると「すっかり彼氏がお気に入りやんか」と文弥が茶化した。
「だって、あいつすっげーいいヤツじゃん。それに、ファンは大切にしなくちゃな」
「おっと、人気タレントみたいな発言や」
「ファンが増えるのは入賞への近道だぜ」
そこまで言ってしまってから、天馬は恭介が──宗吾の存在を意識し、敵視していたという彼が──どう思ったかが気になり、そちらをチラッと見たが、再びチューニングをする様子に、その心の内を窺い知ることはできなかった。
ふと、何かを感じた天馬は恭介の姿から何気なくそちらへと視線を移した。
黒い服の男が見つめている。冷たく無表情なはずの面に微かな動揺が浮かんでいる。何かを訴えるような瞳の奥に激しい炎を秘めて、丈は真っ直ぐに天馬を見ていた。
(ど、どうしたっていうんだ……?)
耐え切れなくなり、視線をはずす。胸が痛いほどドキドキしていた。
この日の練習が終わったあと、天馬はわざとゆっくり片づけをしながら、ベースをしまう丈を窺った。
さっきの目は何だったのか。彼までもが自分と宗吾の間を勘繰っているのでは? そんな、まさか、バカバカしい。
「なあ文弥、ちょっと残ってもいいか? あそこのフレーズ、音取るのにキーボード使いたいんだけど」
自分たちのあとにこの部屋を使う予定はないと聞いていたので天馬が許可を求めると、
「ほな、帰りがけに、叔父さんに『終わった』って声かけてや。ボクらは先にあの店に行っとるで」
「わかった。あとから行くよ」
文弥に続いて朋成が、恭介がスタジオをあとにする。
再び電源を入れて、天馬はキーボードの前に立った。そして譜面を置いた時、丈は無言でその脇をすり抜けた。
(挨拶なしかよ)
期待と不満と失望が入り混じった複雑な気持ちで、それでも知らんふりを装い、スコアをめくる。目では音符を追いながらも神経は丈の動きにしっかりと集中していた。
ところが、そのまま部屋を出るのではなく、ソフトケースをドアの傍に立てかけた丈がこちらへ戻ってくるとわかると、天馬は身を硬くした。
「上達したな」
「へんっ、これが実力だぜ」
「おまえの歌に期待した上での苦言だと受け止めて欲しかったんだが」
「そいつはどーも、ご忠告ありがとうごぜえますだ」
つっけんどんに答える天馬に、苦笑いを浮かべた丈はさらに続けた。
「で、そろそろ例の解釈を聞かせてもらおうか」
「あれは嫌がらせだって、おまえが言ったじゃないか。解釈する必要ないからやめた」
「しらばっくれるか。まあ、いいだろう」
冷静な素振りを見せながらも、どこか落ち着かない、丈の焦りが伝わってくると、天馬はますます緊張してきた。
「あのときの言葉に嘘はない」
鍵盤に視線を落としたまま動けない天馬、すると丈はその身を抱きすくめた。唇を重ね、舌を絡めてくる。触れただけのキスとは違う激しさだった。
もしかしてオレはこんな展開を期待していたのではないか? 丈のキスを受け止めながら、自分の中に潜んでいた願望に気づいて、天馬は愕然とした。
そうだ、キーボードを使うと理由をつけて、この部屋へわざとらしく残ったのは丈と二人きりになりたかったから。
彼がこんなふうに接触してくるのを待ち望んでいた……とでも?
(……オレってば、マジで?)
男を愛する男になってしまったというのか、そんなバカな。
唇を離して顔を背けると、丈はTシャツの中に手を入れてきた。
「なっ、何する!」
素肌に触れられて背筋に何かが走る。この感覚は──快感?
まくれ上がったシャツの下、露わになった天馬の敏感な部分に丈の指が、唇が、舌が触れる。そこを強く吸われて、彼は情けない声を出した。
「や、やめ……」
恥ずかしいことをされているという自覚はある。これは男が受ける行為ではない、早くやめさせなくては。
それなのに──感じている、もっとされたい、快楽に酔いしれたい。
丈にされるがままになっていた天馬だが、その手がさらに下へ伸びると、ハッと気を取り戻した。
膨らんだそこがジーンズの生地につかえて痛い。早く出せというのか、できるわけないだろう。
こんなに反応していると知られたくない、知られてはいけないのだ。それは自分が彼と同じ指向を持つ者、同類だと認めてしまったことになる。
違う、オレはホモなんかじゃない。いつかは彼女を作って、高校生としての正しい青春を送る予定なのだ。
そもそもだ、受けた告白に対して「オレも好きだよ」みたいな言葉、一言も答えていないじゃないか。彼を意識しているという態度が脈ありだと誤解されてしまったのか。
丈の手を振り払った天馬は「そんなことしていいって、誰が言った?」と怒鳴った。
「イヤなのか?」
「……たっ、たりめーだろっ!」
「そうか……悪かった」
あっさりと引き下がられて肩透かしを食らった天馬が呆然としているうちに、丈はさっき置いたケースを担ぐと、振り向きもせずにスタジオから出て行った。
「ど……どうなって……」
一瞬にして気が抜けた天馬はその場にへたばってしまい、膨らんだものも風船のように、あっという間に萎んでいたのだった。
……⑤に続く